2014年04月01日(Tue)
■ もっと家庭内で消費税増税のアナウンスをするべきだった……orz
こどもが、消費税増税をまったく知らなくて、今日になって、ふだんストックして自分が使っているものが残り一個しかないと申告してきました。
そ、そんな…。
せめて昨日、言ってくれてたら…。
いやいや、こどもにきちんと話してなかったわたしのミスだわ。
そんな切ない、消費税増税一日目でした。
まあ、よくある話ですよね。
と、思ってたら、今度は夫がモバイルルーターがいよいよご臨終と申告してきました。あなたはなぜ先月に言わないの。いや、モバイルルーターよ、なぜ、このタイミングで壊れるのよ。
電子機器にこれ以上、消費税増税タイマーが発動しませんように。
2014年04月02日(Wed)
■ 『ことばは光 1,2』太田道子著
先日、この日記で紹介したイスラエル紀行のブログを読んでて、ふと、高橋たか子が思い浮かび、調べていたら、太田道子という名前が入ってきた。
観想修道会という種類の修道会がカトリックにはあるそうで、黙想が自分を神様へ向けて祈る祈りならば、観想はその逆で神様から入ってくるものを受けとめる祈りだそうだ。(最近はプロテスタントのごく一部にも入ってきているようだけれど、わたしの周囲ではあまり聞いたことがない)。
どちらも、沈黙しているので、傍目にはそれが黙想なのか、観想なのかは区別つかないかもしれない。
観想修道会は、高橋たか子の場合はフランスで都会の中で成すタイプのものから砂漠へと出て行ったのが、『亡命者』という小説。それと比肩するかのように太田道子が紹介されているブログがあり、興味を持って、『ことばは光』を手にとってみた。
太田道子は、聖書学者で新共同訳聖書の編纂にも携わっているらしい。また、パレスチナ難民支援のNGO活動をし、イスラエルのナザレにも拠点を持ち、日本と往復している。
その活動は、ひたすらに個の祈りの中で神との出会いを求めていった高橋たか子とは真逆。
なのに、『ことばは光』の冒頭は、『亡命者』と一対であるかのようなのだ。
アルジェリアの砂漠にはフランス系列の観想修道会があり、そんなところでの二年にわたる太田道子の滞在。それは光に溢れていて、そんなところから始まる。(アルジェリアの情勢が悪くなり、そんな修道会の修道女などが殺されてしまったとあっさりと触れられている)。
けれど、イスラエル・パレスチナと日本を往復しながら、日本の支援者に尋ねられるたびに状況は良くないと報告する悲しさ。また日本の国際社会や人道支援に対する無力、無理解に歯ぎしりをするかのような忸怩たる思い。
また、どっぷりと旧約聖書の研究にはまっていた生活の回想。
なにか、カトリック的な直接的に対象に触れないような慎重さで話は進む。
それが一転。二巻では冒頭に、20代の若い頃にキング牧師に出会い、聖書を読んでるのでは聖書はわからない、ついておいでと言われ、キング牧師がどんな経歴、立場の人かもわからぬまま、アメリカの季節労働者の支援活動をしたところに話がゆく。
驚いた。
そこからはプロテスタント的な明瞭さで、いったい、何がパレスチナ難民支援活動に自分を向かわせたのかということが記されたりなどしている。
そして、たくさんの聖書の知識や信仰があるだろうけれど、人間イエスに焦点を絞り、その生涯と信仰を単純に説いている。
わたしはこの本を図書館で借りたのだけど、特に二巻を手元に置きたいと思い、キリスト教書店、古書店に問い合わせたものの、絶版で今は入手が難しいようだ。2006年に刊行された本だけれど、2011年を経た今だからこそ、もっと読まれて良いと思うのに。
なので、目次だけ、ここに写しておく。
太田道子 『ことばは光 2』
目次
- Ⅰ ごまめの歯ぎしりと夢 連想-想い出-出会いによるエッセイ
- 1 出会い
- 1 二つの出会い
- 2 T村の人々
- 2 「地に平和」の生活から
- はじめに
- 二000年夏 東京本部事務局
- 二00五年秋 ナザレ
- 二00六年夏 東京本部事務局
- 二00六年秋、エルサレム
- Ⅱ 難民に出会う
- はじめに
- 難民キャンプで出会ったクリスマス
- 禁足令のベツレヘム
- Ⅲ イエスを迎える
- はじめに
- 1 イエスの時代 イエスの起こした運動 イエスの場 「罪人」とは誰のことか
- 2 イエスの到来 「時は満ち……」 告知 ヨセフへの告知 マリアの賛歌 羊飼いへの告知 シメオンの賛歌
- 3 イエスの活動開始 避けるべきこと 荒れ野での試み (1)石をパンに変える (2)神を試すこと (3)神以外のものを崇める / 使命の確認 イエスの自己紹介 / するべきこと 主の祈り はじめに (1)日毎のパン (2)負債の免除
- あとがき
- 1 出会い
そして、この日記を書いていて、いま、気づいたのだけれど、この本は直線的な時系列の本ではなく、観想の祈りから始まって、受けとめたのが「主の祈り」というのが、なるほどなぁ、と、思った。
観想の祈りは神様から受けとめる祈りで、そして「主の祈り」は弟子たちがイエスに、祈り方を請うて教えてもらった祈りだ。
2014年04月03日(Thu)
■ 『聖書を語る』佐藤優 中村うさぎ 著
クリスチャン向けではなく、一般向けに対して、キリスト教を語る著作だったのだけど、以前、日記に記したように、わたしは中村うさぎ氏と同じ中高のミッションスクールを出ているので、そうした観点から、思春期にもっとも影響を受けたキリスト教が、どういう立ち位置のものか、ほんのわずか、客観視できたのは、とても良かった。
そして、改めて、あの学校で、本当に良かったと思ったのだった。
毎日、礼拝があり、先生も生徒も、信徒、未信徒を問わず、聖書を読んで自分が考えたことや、学んだこと、今、自分がどうであるかを証した。教会ならば考えられない。
けれど、授業という枠を越えて、自分自身を礼拝という形で語り聞く時間がある。他にもクリスマスや卒業式などのイベント、繰り返し語られる母校の歴史。その積み重ねは、他の学校では得られないような体験で、卒業後も学年を、年代を越えて、卒業生と何処かで会うと、パッと通じるものを持つのだろう。……と、言っても、そんなにOGと会うことは滅多にないのだけれど。
本の感想としては、ふんふんなるほどねー、と、いったところだけれども、ふたつ。
高橋和巳の名前が出てきたのに、なぜ高橋たか子の名前はでてこないのか。そして、高橋和巳の出し方として、あの人の書いた小説に出てくる女性はとげとげしいって…。高橋和巳を読んでないからなんともいえないけれど、わたしは奥さんの高橋たか子の書くものに感じるものが多く、その内面の奥深さと神秘的なロマンチシズムに傾倒した豊かさを思うと、高橋和巳の書いたという女からはイメージが離れていて、それは誰だったのだろうか、いや、内面の奥深さを持った女性はとげとげしいとしか表現されないのだろうかと気になった。
もう一つは、佐藤優氏が、神を説明するのには数学を持ちいるとわかりやすいと言っていて、わたしは数学はさっぱりわからないけれど、なるほど、数学にそういう性質があるとするならば、結城浩さんが数学で小説を書かれているのは、そういうところなのかなとなんとなく思った。そして、文学は書いてもズレてしまうと書かれていて、少し悲しくなった(わたしは書く側ではないけれど)。
■ 『終わりの日々』 高橋たか子著
2013年7月に、高橋たか子が亡くなり、その後、出版用にと書き溜められていた日記をもとに刊行された、高橋たか子、最後の本。
メモ。
最後の本の中で、二度、大切なことだからと、繰り返し語ったことは、ここには書かないけれども、良かったなぁと思った。
日本人である著者が、日本人でありつつフランス人であるというスタンス、そしてフランスへの望郷の念を強くもち、繰り返し語られるのは、そのまま額面通りに受け取ってはいけなくて、二重の意味があるのだろう。
高橋たか子が自分が書いた本の中で重要な本、というのが、リストされていた中に、わたしがもっとも大切にしてる『亡命者』がなかったのには、あれれ、と、思ったけれど、きっと、そのズレが、『聖書を語る』で語られていたズレなのだろうなと思う。
■ 元ジョスィ母が女子を育てる心構え
- かわいいを否定しないと決意する(このスイーツ(笑)が!とかね、やらない)
- 母はかわいいが出来ないと宣言する
- 一生懸命、かわいいを作る作業をしてたら、褒める
- ただし、母の化粧道具をくすねることは叱る
図書館からスタイリングの本借りてきて、うまく髪型作れなくって、キーッと怒ってたりしてて、見てて楽しいですよ。がんばってるなぁ。にこにこ。
あとは大人になったら適当なところで女子から女になってくれればいいです。
2014年04月04日(Fri)
■ 新しいイヤホン買ったった。
消費税増税タイマーで、iPod touchの充電ケーブルが壊れてしまったうえ、イヤホンのイヤーピースが割れてしまったりで、新しいのを買ってきました。( ´ ▽ ` )ノ
物は壊れる、人は死ぬ、仕方がないのです。*1
イヤホンのイヤーピースはメーカーわからないと選べないと店の人に言われたので、元からそんな良いものでもないし、新しいイヤホンを安いのから順に見ていって、音漏れ低減ってパッケージに書いてあったのを選びました。
左右を示すRとLが記してあって感動したり(←前のは無表示。どんだけチープやねん)、低音が聴こえるようになって驚きました。ちょっと、低音目立ちすぎな気もするけど、慣れの問題かなー。
音漏れはよくわかりません。
SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー MDR-EX110LP/W ホワイト
ソニー
¥ 1,330
*1 念のため、野暮だけど誰も死んでないです。
2014年04月05日(Sat)
■ 『治りませんように』 斉藤道雄 著
勉強をしてるこどもの向かいで、本を読んでいたら、「お母さん、その本のタイトル、治りませんようにって、変なのね」と尋ねてきた。
そうねぇ。なんと説明しようかしら、と、一瞬、悩んで、こう応えた。
一生、治らない病気があってね、その病気と一緒に生きる時、治りますようにって思うと、病気の今が辛くなってしまうの。それに、その人は病気があることで、たくさんの仲間が出来たりして、もしも、病気が治ったらその仲間たちと別れなくてはならなくなる。そうしたらさみしいし悲しいでしょう。だから、病気の自分や仲間と一緒に生きるために、治りませんようにって祈りながら生きるような人たちもあるの。イエスさまも、病の人を癒す時に、いきなり癒やさないで、癒されたいか?癒して大丈夫か?って病人に尋ねて、癒されるんだよ。
それで、通じたかどうか。こどもは「わかるようなわからないような」と、首を傾げて、勉強に戻る。
■ "Welcome Japan"って言えた日。
世界一周系ブログを読んでて、いいなぁって思ったのは、異国の地に来た通りすがりの人に、ウェルカムって言う現地の人々。
いつか真似したーい!と思ってて、今日、ついに実践できたー!わーい。完全、自己満足です。でも、街中で外国の人と会話するのにどうしたらいいのだろうって、考え込んでしまう人も多いと思うので、下手な一例として日記に記しておきます。
台湾の方々だったのだけれど、外見は日本人にも見えるし、地図を差し出して行きたいところを指差しされたのだけど、うまく言葉が通じなくて、最初、日本人のろうあ者か、外国人かわからなくて焦りました。
「日本語で大丈夫ですか?」って聞いてうまく通じないようなので、"English OK?"と英語にしたら、通じました。
何人なのかなぁってのは気になって、"Where are you from? Chinese?"って聞いたらちょっと複雑な顔をして台湾って言ったから、"Sorry!"ってすぐ誤りました。台湾の人に中国人かという質問は失礼でしたね。隠さないで答えてくれて良かったです。
何人ですか?ってどう尋ねるとスマートなのかなぁ。わたしの少ないボキャブラリーで。また機会がある時まで、考えておきましょう。
行きたいって言われた場所は、歩いて数分だったので、案内して別れました。
2014年04月06日(Sun)
■ ボーカルレッスンを見学してきました。
正確に言うと、ボーカルレッスンのクラスがふだん、どういうレッスンをしているのかという発表会があって、それを見に行ってきました。
身体のストレッチを丁寧にして、発声練習、実技という流れでしたが、JAZZボーカルのクラスだったので、今までソルフェージュとか学校の合唱とか教会音楽しか経験したことのなかったわたしにとっては、ヘェ〜!そんな風に身体を使うんだ!と新鮮な驚きがいっぱいでした。
レッスン料もグループレッスンだけれど、1レッスン1300円とお手頃なので、四月下旬から、ストレッチがてら通ってみようかと思いました。
あと、今日、みなさんが歌ってたのが"fly me to the moon"で、先生、曲解説の時、サラッと「これは"I love you."って言いたいだけなんですね」って言ってたのが素敵でした。
2014年04月08日(Tue)
■ メールが不調です。
いろいろとメールがうまく動きません。見落としているものがありましたら本当にすみません。
さくらのレンサバとGMailを併用しているのですが、ここのところ、いろいろ不具合あるようです。
取り急ぎ、現状ご報告です。
2014年04月09日(Wed)
■ メール復旧したようです。
昨晩はエラーメールでメーラーが爆発してたのですが、今朝みたらちゃんと動いてました。
わたしは何もしてないのですが、裏でインフラ整備してくださってるエンジニアさんたち、ありがとうございました。
■ こどもが自発的に部屋の片付けを始めると
なんだろう…なにか悪いことが起こるのではないだろうか…
ざわ…ざわざわ……
と、しちゃうくらいにはダメな人間です。
ダメな子にダメでしょう!って叱るのは簡単だけど、良い子にダメでしょうって叱るのは難しい。
黙ってみてます。
と、案の定、正義を振りかざす上の子が下の子を追い詰めて泣かすわけです。
ふー。人間やねぇ。
2014年04月10日(Thu)
■ こどもと付き合う。
あまりバウンダリー(境界線)設定が得意ではなくて、そこらへんで育児に四苦八苦してるshinoです。
詳細は書けないのですが、昨日のこどもの変なテンションの高さ(過剰に良くなろうとして限界を突破し決壊する)の原因と対策がわかったのでちょっと記しておきます。
ふだん、自発的に片付けをしないこどもなのですが、二パターンのプレッシャーをかけるとそれぞれに反応して、自発的に片付けをすることがあります。
- パターン1
- 「何がなんでも片付けないと良い人間になれない。お前はダメだ」という恐怖指令
- パターン2
- 「部屋が散らかってたら、クリスマスや誕生日のプレゼントはなし」という条件指令
それぞれのパターンは指令を出す人が違います。(わたしでもありません)。
で、パターン1の場合はどこまでやれば良いのかわからなくなって混乱して、過剰にやり過ぎてしまい、決壊するようです。昨日、テンションおかしくなったのはこの指令を受け取っていたようでした。
パターン2の場合は目標が見えているのと具体的報酬があるので、安定して作業できるようです。
ちなみに、こどもに「いまの部屋の状態は、プレゼントもらえる?どう?」と尋ねたら「うん。二年は貰えないね」と理解してました(酷い部屋w そのあと、片付けてましたが)。
そこで、パターン1の指令を出す人には、指令の出し方が不味いことを指摘して、控えてもらうようにしました。
こどもに何かを頼む時、「暗くなってきたから、カーテン閉めて」とか、「ご飯にするから、テーブルの上を片付けて」など、理由や何か行動することによって得られる報酬条件を指定して、指令を出すと動きやすいようです。
(本当は何のためにこれをするのか、を、本人に考えていってもらいたいけど、趣味ならまだしも、生活部分はやっぱり自発的にというのは難しい。趣味ならどんどん自発的にやるのにー)。
良くなるために、というのは、曖昧すぎて、こどもは混乱するし、さらにそれに、ダメを付けると決壊するようですね。
もっと良いやり方もあると思いますが、とりあえず、現状はこれで。
2014年04月12日(Sat)
■ こころを高くあげよう
高校生の頃に覚えた讃美歌で、どーしようもなく、グルグルしちゃって抜け出せない時は、わたしはこれ歌うと良いみたいです。
「こころを高くあげよう」って、自分はダメだダメだダメだー!と、自分に目がいってしまって、溺れてしまう時、自分の居る場所はもしかしたら地の底のようなところかもしれないけれど、そこから、心をぐぐぐっと天へ向けてあげるのですね。
きちんと、神様に向けて心をあげる。1cmでも1mmでも、もしかしたら、持ち上がらない!って思えるほど、重い自分の心かもしれない。でも、心を高くあげようと、神様の方へ向けば、あとは必ず、神様が助けてくれます。
「こころを高くあげよう」って、聖書だと、この箇所を言っているそうです。
主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。 (詩篇 25:1 JA1955)
英語だと、こちら。(訳がさまざまな聖書で揺れがあるので、KJV、NKJVが良いようです)。
To You, O Lord, I lift up my soul. (Psalms 25:1 NKJV)
lift up. 重いものを持ち上げるという意味なのですね。
どこへ?"To you, O Lord"、主なる神様へ。英語圏っていいなと思うのは、神様を「あなた」って呼びかけるボキャブラリーがあることですね。日本語は、主とか神って呼んでしまうけれど、あなた、って呼びかけていいんですよ。
あなたへ、主へ、わたしはわたしの魂を持ち上げよう。
2014年04月13日(Sun)
■ きょうだいげんか。
こどもたちの様子を見ていると、あー、いろいろ溜まってきてるなぁ、そろそろ爆発するなぁって、予感がむくむく湧いてきて、だいたいその通りになりますね。
今日は大爆発が起こりました。
まずは謝ろうとしない下の子を捕らえて、抱きしめて、ごめんなさい言える?そっか、言えないかぁ。ものすごいへの字口に、頑なになってるのをなでて、尋ねる。ごめんなさい言えないのはしんどいなぁ。上の子にごめんなさいは言えない?どうしても?ふむふむ。それなら神様にごめんなさいは言える?と、言ったら、ふっと力が緩んで、ごめんなさいを言葉にできるとこまでいって。
次に許せない!と、怒りに震える上の子を追っかけて、捕まえて、ともかく、何が不満なのか、徹底的に洗いざらい吐かせる。いい子ちゃんにしがちなので、まあ、出てくること、出てくること。ものすごい溜め込んでました。
途中でちょっと意図的に「お母さんは許せる?」と聞いたら、「許せる」というのを挟んで。
で、「これで全部」と、本人が言うところまで終わっても、「じゃあ、下の子、許せる?」と聞いても、「許せない!」と言う。ふむー。
怒りと許しって、ほんと、根深いテーマです。大人だって、怒りを手放して他人を許すの難しいのだから、こどもにそれを真正面から迫っても、こじらすだけかもしれないですね。
と、いうことで、方向転換。自分の話をしました。
お母さんもね、こどものころ、ものすごーくおじさん(わたしの弟)と喧嘩して、許せない!って怒って怒ってたの。でもね、そんなお母さんの怒りがイエスさまを十字架に送ったんだなぁって、ある時、わかって、自分ではごめんなさいって言えないし、許せる気がしないけれど、イエスさまがそんなお母さんのために十字架にかかってお母さんを許して下さったのならそれを信じようって思ったの。そうしたら、今は、あなたたちにたくさん、たくさん、おじさんはプレゼントをくれて可愛がってくれるようになったよねぇ。お母さんも今はおじさんとうまくいってるでしょう。お母さんのこどもの頃には考えられないことよ。
それだけ言って、「さっき、◯◯ちゃんはお母さんは許せるって言ったよね。どうして?」と尋ねたら「お母さんは話を聞いてくれるから」と返事されました。
下の子は、自分がごめんなさいを言えたことに満足してしまった様子だったので、それはあかんと、「いい?女の子は甘いものを食べると気持ちが落ち着くの。だから、ごめんなさいって思うのだったら、今、お金渡すから、あなたはお店へ行っておやつに甘いお菓子を買ってらっしゃい」と送り出し、甘いお菓子を買ってこさせました。
そして、家族で、お菓子を分け合って食べました。上の子も下の子も。言葉ではごめんなさい、いいよ、は、出来てないけど、まあ、良いでしょう。
人間って難しいけど、おもしろいなぁ、と、思うのでした。
2014年04月15日(Tue)
■ 汚い字の恵み
授業参観と懇談会があって学校を見てまいりました。
こどもの教室の廊下側に、詩を写したものが並べてあって、どう見ても、わたしの子の字は汚い…。
思わず呻いてしまったのですが、考えてみたら、わたしも夫も、また、わたしの両親も字が汚くて、これは仕方ないかなぁ、と。
さらに、考えてみたら、一般人にしてはややわたしはコンピュータが使える方だと思うのですが、最初は中学生のころ、あまりの自分の字の汚さに嫌気がさして、ワープロや英文タイプに手を出したところが始まりだったし、その結果、多少、IT業界でプログラマとして働いて報酬を得るに至ったこともあったので、汚い字というのは、わたしにとって、恵みだったな、と、思うのです。
でも、やっぱり字はもう少しうまくなってほしいのも親心。
そんな風に思いながら、こどもの学習の隣に座ってそれとなく字がうまくなるといいねぇ、などと言っていたら(いや、もしかしたらもっと直接的に字が汚いんだけど…と、言ったかもしれない…)、こんな返しをされました。
「先生たちってすごいね!どんなに汚い字でも読める達人だね!」
……その発想は無かった。
2014年04月16日(Wed)
■ 順調です。
勉強やってる子「疲れた疲れた疲れた!」
母「やんなきゃいけないのはわかってるよね」
子「疲れたの!」
母「そうだね」
…沈黙もくもく。
子「やんなきゃいけないのはわかってるけど疲れた!」
母「がんばれ」
愛は忍耐。にんにん。にゃー。
と、やってたら、前は耳掻き嫌がっていた子が、最近、自分から耳掻きをやらせてくれるようになりました。←耳掻きフェチなので、すごい楽しい。
2014年04月18日(Fri)
■ お米屋さんに注文するとき、一言、添えてること。
わたしはお米をいつも決まったお米屋さんに頼んでます。電話で注文すると、玄関まで配達してくれます。
その時に、必ず、急いでいるかいないかを伝えます。特に、夕方の時間帯に注文する時は。
お米がなくて今日の夕飯に急ぎたくて頼んだのか、それとも、今日の分はあるので遅くなっても大丈夫なのか。
「今日の分はあるので、遅くても大丈夫ですよー」と言えるように、なるべくしたいんですけどね。
たまーに「す、すみません!今日の分に使いたいので急ぎでお願いします!」ということもあります。
ふだん、遅くても大丈夫貯金してると、急ぎの時も快く引き受けて下さるので、助かります。
ちなみに今日は遅くても大丈夫です。ほっ。
2014年04月19日(Sat)
■ トルコ人とお話した日
今日は日本語の流暢なトルコ人男性とお話する機会に恵まれました。
お話してわかったのは、トルコ人は次の点に誇りを抱いているということです。
- メソポタミア文明の地であること
- (メソポタミアは)法律とお金を発明した文明であること
なるほど。
あと、契約とバウンダリーの話も少ししました。
すごく良い機会でした。
2014年04月20日(Sun)
■ イースター、おめでとうございます。
というわけで、復活祭です。
ちなみに聖書では復活は祭りじゃなくて、弟子やら女たちのところ、ひとりひとりにイエスが現れて復活したことを示します。
わたしは頑固者トマスが、復活のイエスに会った時に、傷痕を見せてくれなきゃ信じない!って言って、駄々こねたら、傷痕に触れさせてくださった場面が好きです。
救われたクリスチャンが痛むのは、そこで復活の主イエスが現れてくださるからだと信じるからです。
イエスさまは生きてます。感謝。
(でも、わたしは弱いので、耐えられないでつまずくような試練は課さないでください、と、祈ります←かなりダメなクリスチャン)
2014年04月22日(Tue)
■ タイムクラッシュ!
最近、こどもが手に入れてきて、付き合っているゲームです。
ゼンマイ式のタイマーがついてて、時間内にカタチの異なるパーツを、穴にすべてはめられれば勝ち。しかし、時間内にパーツをはめられないと、パーンッとはめたパーツが飛び散ります。
飛び散るのが、男の子には楽しいゲームのようですが、わたしはこういうの得意ではなくて、負けた時はヒッ!となります。心臓に悪いです。
付き合うのは、一日五回までにさせてもらいました。
2014年04月24日(Thu)
■ 探していた本をゲット!
太田道子さんの『ことばは光 2』を探していたのですが、横浜野毛にある横浜キリスト教書店で新刊定価で売っていたのを入手することができました!思わず、レジの前で小躍りしてしまった変な客でした^_^; でも、うれしーい!きゃほーい!
わたしがキリスト教書店で利用したことあるのは、銀座教文館、ライフセンター横浜、横浜キリスト教書店の三箇所ですが、それぞれ特色が違うので、徹底的に探したい時はこの三箇所にあたると良さそうです。
そして、横浜キリスト教書店は、本がみっちりと並んでいて、本好きにはたまらない空間でもありました。(三浦綾子や遠藤周作、加賀乙彦など、パッと目に入ってくる本がオーソドックスで、安定感が良かったです)。
2014年04月25日(Fri)
■ こどもが自主的にお米を研ぐと
いま、キッチンからこどもが自主的にお米を研ぐ音が聞こえますが、覗かないことにします。
お米が流しにこぼれるのを、もしも見てしまったら、たぶん…いや、絶対、イラッとしてしまうから。
ちなみに、ここのところ、お米を研ぐお手伝いに積極的なのですが、理由は映画「コクリコ坂から」の冒頭場面に憧れて、なのだそうです。あの場面はわたしも好きです。
…あ、お米を研ぐのが終わったようなので、尋ねます。「何合研いだの?」返事が「いつもよりいっぱい食べたいから4合!」「(いつもは2.5合です…)わー、多いねぇ!食べきれるかな?」
と、もう一人から合いの手が入ります。
「オムライスにしよう!ス○エンサーでオムライスの作り方のコツ見たから作れる!」「(<del>見る</del>言うは容易く、行うは難しという諺がありましてね…とは言わない)……じゃ、じゃあ、お願いしようかな?」「でも、具は難しいからお母さん作ってね!」
はーい。愛は忍耐。にんにん。できるかな?(忍耐も夕飯も…)。いや、できます。がんばります。
2014年04月26日(Sat)
■ 昨日の話のオチ
昨日の日記を更新したあと、もしオムライスが出来たなら、わたしも少しは良い母親になったかと満足できたと思うのですが、そうは問屋が卸さない。
あの後、謎の腹痛(恥を忍んで正直に書くと便秘ですね)に1時間、トイレで苦悶し、こどもに「お母さんはお腹が痛くてままならないから薬屋さんに行ってきます」と言い残し、最寄駅そばのドラッグストアに行きました。
「センナよりマイルドなのを一つ」と頼んで、店員さんに錠剤を売ってもらい、店を出たらすぐ飲んで、(中途省略)、帰宅したら、下の子はすでにパジャマに着替え寝ていて、上の子がお腹空かせて待ってました。
で、時間も遅かったので、ご飯炊いて海苔と塩と醤油で食べて、(中途省略)、こどもは満足して寝ました。
でも、家庭は平和で、これはもう、わたしには本当に愛も忍耐もないけど、神様が愛も忍耐も補ってくれるから、そのままでいいよってことでしょうか。感謝でした。
まあ、思ったようにはいかないけれども、これはこれで良かったなぁ、と、思いました。
■ ボイストレーニング at コミュニティセンター 一回目
先月、見学へ行ったボイトレへ行ってきました。
時間の1/3はひたすらその場でできるストレッチと、椅子スクワット。椅子スクワットはここのところ散歩してるのが良かったのか、30回セット、難なくクリアできました。でも、冷静に考えるとわたしはその場で最年少グループに入るので、あたりまえです…。
次の1/3はリップロールというボイトレをしました。唇をブルブル震わせながら、発声練習するのです。口と舌の動きを滑らかにするために、何パターンかやりました。
そして、今日の曲はJazzスタンダードの"You'd be So Nice to Come Home to"。リップロールのおかげか英語がうまくなった気がしましたが、本当はそうでなくて先生の指導がすごく良かったのだと思います。(自宅に戻ったら歌えなかったから 笑)
メモ
- 丹田重要
- 背中の腰骨の上に吸った空気をためるイメージ
- 低い声は胸で響かせ、中音域は耳あたり、高音は頭の後ろ側で響かせる
- 高音がひっくり返りそうならば腰から上半身をひれ伏す感じでおじぎする
- 音符の通りに音を伸ばさないでリズムと音節で切る(ペン忘れてメモできなかった lol)
- 次回はメモ用のペンを忘れないこと←
2014年04月27日(Sun)
■ それゆえ、あなたはすばらしい
いつか故郷へ戻れると約束する それゆえ、あなたはすばらしい
その熱い想い それゆえ、あなたはすばらしい
海からの風の吹く間 あなたはわたしの望みのすべてです
真冬の星に導かれ 真夏の月に照らされて
あなたはとてもすばらしく あなたはここも神の国にする
いつか故郷へ戻れるのだから そして 愛に満たされて
2014年04月30日(Wed)
■ イスカリオテのユダになったらどうしよう?!
ここのところ、主を賛美するって、こわいことだなーと思ってました。
旧約聖書に、ユダという人物が出てきて、この人の名前の意味が"主をほめたたえる"という意味なのですね。
そして、新約聖書のユダといえば、イエスに生まれて来なければ良かったのにと言われてしまう、裏切り者の弟子、イスカリオテのユダです。
主を賛美するって、もしかしたら、裏切り者と紙一重ではないですか?わたしなんかが賛美して大丈夫ですか?神様?と、思っていたら、このみことばが来ました。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
[新改訳聖書 イザヤ書41:10より引用]