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shinoのときどき日記


2014年03月01日(Sat)

『その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち』上岡陽江、大嶋栄子 著

2010年に刊行されたこの本は、女性の薬物依存性回復支援をしていて、本人もかつて依存性者だった著者が、依存性や境界型の女性たちが、回復すると、その後、どんな状態になるのかをわかりやすく記した本です。

最初から夢打ち砕かれる結論としては、依存性や境界型は、アディクション(嗜好)から抜けることはあっても、「治る」ことはなく、なんとなく苦痛のある状態で有り続けるそうです。晴れやかな、ハッピー、ハッピーな状態には決してならない。

けれど、自分の身体を物理的にメンテナンスしたり、人との距離の取り方、生活の仕方を学んでゆくことで、一日、一日を生き延びてゆく。怠くて、しんどいけど、それでも、生きてゆく。生き延びてゆく。そこが、目標なのだそうです。

だから、著者は記します。

「回復とは回復し続けること」。

なるほどなぁ、と、思いました。

少し、本と離れるけれど、前回の日記の続きとして。

教会では未熟な牧師が説教をすると、救われてるから幸せですとか、喜びがありますとか、こんなわたしも愛されてますとか、そこにスポットを当てすぎてしまうことがよくあります。

そうすると、生きづらさを抱えて、イエス・キリストに救いを見て、洗礼を受けたクリスチャンは、混乱するのですね。どうして、自分はクリスチャンになったのに、喜びも幸せも湧いてこないのだろうか、と。

さらに、そういう牧師は説教では誰もが愛されているとか、愛し合うことを説くのに、一方で聖書や社会の規範から外れた人に触れるのが苦手だったりします。

そこで、生きづらさを抱えている人は、ダブルバインドに遭遇して固まってしまいます。これはキツいですよね。

本当だったら、生きづらさ、痛み、苦しみを、神様の前に注ぎだしてゆく「道」を味わいたいのに。十字架の道ってまさにそれなのに。

(牧師の説教に上手下手って評価貼るなと怒られそうだけど、やっぱり、上手な牧師って、丁寧に人間の苦しい状態を説いて、そしてそれを神様のもとに持ってゆくと、神様がどう扱うか、どう触れてくれるかを説いてくれてます。あと、たとえ説教下手でも、メッセージとメタメッセージが一致してる牧師は、とても良い牧師です)。

苦しいし生きづらいけど、キリストに繋がってなんとか生き延びている人も、それでいいんだって、この本読むと、キリスト教の本ではぜんぜんないけど、見えるんじゃないかなと思いました。

Tags: 読書

2014年03月03日(Mon)

中村うさぎ先輩は、超絶確信犯でやっているからタチが悪いなぁ、もう(笑)

※この日記は載せるかどうか迷いましたが、記しておきます。

よく読みに行ってるブログで、中村うさぎさんの『聖書を語る』という本について取り上げていて、これが面白そうだったので、少し検索してブログといくつかのインタビューを読みました。

中村うさぎさんは、買い物依存、ホスト遊び、風俗嬢、整形、同性愛者の男性との結婚など、現代の十字架に特攻する漢前なクリスチャン作家と存じています。

その中村うさぎさんを先輩というわたしは、時代を違えど、同じ学校(中高)でキリスト教教育を受け、のちに洗礼を授かったクリスチャンで、なぜ、中村うさぎさんが世間がアッと驚く行動に走るのか、肌でわかる気がするからです。

とある牧師のブログでは中村うさぎさんの行動を評価したもので、厳格なクリスチャンホームで育ち、ダブルバインドに苦しんで、あのような行動で愛を欲しいと訴えてると分析したものがありましたが、わたしはそれだけではあの底が抜けた明るさのある表現の説明はつかないと思います。

わたしが思うに、もしかしたら発端はダブルバインドがあったかもしれないですが、それよりも、メシアコンプレックスの変形で、どこまでも堕ちてゆくことで、キリストの十字架によって人の罪が底無しに赦されていることを証しようとしている、堕ちていく/いる人たちを救い出されたいのではないかと思います。

その根拠は、

  • キリストの核心が十字架の自己犠牲にあるという信仰告白*1
  • 自分の本質はファンタジー作家で、ファンタジーとは死の国へ行き再生する物語で、自分に対しても最終的に再生を目指しているという告白*2

あたりにあるとわたしは読みました。

確信犯的にハチャメチャな行動をしているので、タチが悪いなぁ、もう、と脱力しながら笑わずには居られません。祈りであり、巡礼であり、全霊をかけてイエスを愛してしまう大変、イビツなカタチな信仰ですが、まあ、アリですね。あの学校の教育を受けると、稀にある種の人はそこへ行ってしまうことはあるように思います。(真面目なクリスチャンや学校関係者に背後から刺されそうでこれ言うの勇気いりますが)

イエスが十字架にかけられ黄泉にくだり三日目に死人のうちから蘇ったところを目指して、黄泉に堕ちるよう持っていってるのだろうなと思います。蘇るイエスにしっかりとしがみついてきてください。ついて来られるでしょう。そうであることを信じます。

それにしても、アリ(?)だけど、わたしのような凡人が真似しようとすると、ごっそり死の世界に持ってかれてしまうので到底、真似できません。うう。

最後に先輩、もう少しご自身を労わりつつ歩んでください…。

*1 中村うさぎ・佐藤優が語り尽くす聖書のディープな世界|CREAおすすめ書籍|CREA WEB(クレア ウェブ) http://crea.bunshun.jp/articles/-/3668?page=3

*2 楽天ブックス|著者インタビュー 中村うさぎさん『女という病』http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/pickup/interview/nakamura_u/

わかつきめぐみの"So What?"っていま思い返すとすごい漫画な気がする。

もう何年前でしょう。30年くらい前に、LaLaという少女漫画雑誌であった連載なんだけれど、唯一の身寄りだったじっちゃんの訃報を手に大急ぎで帰省した少女、阿梨が、そこで目にしたのは異世界からスリップしてきた耳の大きな女の子ライム。二人の奇妙な共同生活が始まって、ライムが元の世界に戻るまでの数年間のシェアハウスもの。

主人公のくせにやたら寝てばかりの阿梨、異世界から来たのにやたら生活上手なライム。

静かなドラマはいろいろあったけれど、基本、朝起きてごはん食べて、散歩して、昼ごはん食べたら昼寝して、夜ご飯の準備して夜ご飯食べて寝て。合間、合間に洗濯の場面ばかりだった記憶がある。

設定はドラマティックな割りに、進行がえらく地味な漫画で、でも、なんだか、その落ち着いた生活が気持ちよくて、何度も繰り返し読んでた気がする。

いま、振り返ると、身内の喪失とか、まったく異世界な環境に来た時に、生きてく手段としてともかく寝るとか、ちゃんと生活をするってのが、一番、有効な手段だなって思う。(『その後の不自由』とか読むとさらにその思いが強くなる)。それを上手に描いてた漫画だったんだなぁ…って思ったら、これ、なんかすごくない?って、熱いものがこみあげてきた。

当時はこのキャラかっこいいとか、線が好きとかそんなとこで読んでたけど、30年近く経って、あ、あの漫画はこういうことだったのか、ってのがなんかね。深いな。こういう深いの好きです。


2014年03月04日(Tue)

なんじゃもんじゃカフェなう。

はじめは道を間違えて野趣溢れる小径に入り込んでしまいました。こういう小径大好き。猫出てきそう!((*゚∀゚))と思ったけど、遭遇できませんでした。

木の上の秘密基地カフェ、なんじゃもんじゃカフェに潜入。

天気いいし、小鳥は囀ってるし、風はふんわりだし、気持ちいいです。ここは天国ですか。

しばし、ぼんやりタイムです。

追記

などと思ってたら、猫さん、登場!!にゃーにゃーと挨拶だけしてすぐ行っちゃったけど。わーいヽ(・∀・)ノ

instagramで海外の人とコミュニケーション

instagramって、ノンバーバルコミュニケーションだと簡単にグローバルコミュニケーションできて世界が広がる感じが楽しいです。

もちろん、そんなに深いやり取りは出来ないですけれど。でも、生きてる確認出来るってすごいもんだなと思います。

今回はそのコメント欄でのやり取りの仕方をいくつか。

1.英語を使う。

アラビア語圏ユーザーさんの文字はほんっと読めないのですが、先日、良くlikeくださる中東の方がアラビア語のメモ画像だけ残して沈黙されました。

コメント欄みると言葉は読めないものの絵文字などから、悲しみの雰囲気。

な、何が起こったの?!と、不安になって "english please. hoge gone?"(hogeはその方のidでしたが)と打ったら一日経って、ご本人から"no my grandmother"と戻ってきました。おばあさまが亡くなられて喪に服されたのだなと理解できました。

2.絵文字を使う

絵文字だけ、ちょこっと書き込むと、絵文字で返ってくることがあります。

先の中東語圏もサッパリ文字わかりませんがドイツ語とかトルコ語とかハングルもね、わかりません。

でも、いいね以上にちょっと良い写真だねって伝えたい時は絵文字で。あんまりやるとうっとおしいのでたまーにね。

楽しいです。

絵文字って日本人ユーザー同士で使うのは抵抗あるのですが、全世界的に使えるので、案外、いいじゃんって見直しました。

3.Google翻訳使う

これはわたしにとって、instagramではあんまり有効ではない手段です。あまり手応え感じたことがないですね。なんでだろう。ノンバーバルにバーバルコミュニケーション混ぜ込むのがそもそもズレるのかな。今後、もう少し変化あったらその時、気付いたことをまた書いてみます。

まあ、そんなにコミュニケーション量、多いわけではないけれど、ちょっと面白い感じなのでまとめてみました。おしまい。


2014年03月05日(Wed)

メモ 悲しんでいる人は幸いだ

※書く先を間違えたので、いったん削除します。

年間聖句 しかし

しかしわたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう。 (詩篇 71:14 JA1955)

日記を見返したら今年の年間聖句、載せてなかったので、記しておきます。載せてたw 重要なことなので二度言いました!ということでw

娘が恋バナをしている、その横で息子は…

今日は会話の流れで、娘の恋バナを聞かされる羽目になったのだけど、

その横で息子が

「ぼくはね、お父さんとお母さんが大好きだよ!」

って言ってて、あれは本人、恋バナに参加してるつもりなんだろうけど、ちょっと違う。そこがかわいいなぁ。



2014年03月11日(Tue)

おはようございます。

東日本大震災のあった日ですね。 まだ、わたしの中では消化しきれない出来事で、なんて書いたら良いのかまだわからないです。

ひとつ、本当に死んでしまうかもという恐怖を前にすると、死にたいなんてわたしは呟けなくなるんだなってわかりました。

そして、あの時、心底逃げたいと思ったのに、逃げる先はないんだなということも。

3年経ったけれど、まだどこか立ちすくんでいる自分がいます。

横浜でこれですから、東北の方々はどれだけのことかと思います。

今日という日、ひとりではなく、誰かと一緒ならば良いなと思います。


2014年03月12日(Wed)

讃美は要求に先立つ

これはわたしが洗礼を授かって教会に通いだしたころに、結城浩さんが日記に書かれていたことで、最近、深くその意味がわかりはじめてきました。

今年のわたしの年間聖句は詩篇71:14です。もろもろの悩み苦しみがある中で、力強く「しかし」とすべてを横に置きます。この「しかし」は本当に重要。

人間だもの。いろいろあります。不安、嫉妬、失敗、疑惑、悩み、苦しみ、痛み、思い通りにならない人生、ままならない"わたし"。でも、もろもろを「しかし」と退けて、ぐるっと心を神様の前に向ける。

心をぐるっと回して神様へ向けて、「わたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう。 」と宣言する。

神様、あなたは素晴らしい方。完全な方。完全な愛。そして光であり、言。真理であって、まことに自由な方。

そうしているとですね、自分の本当の要求。「しかし」の前にごたごたしていたものの、本当の根っこが見えてくることもあります。

詩篇71:20。ここにこうあります。

あなたはわたしを多くの重い悩みにあわされましたが、再びわたしを生かし、地の深い所から引きあげられるでしょう。 (詩篇 71:20 JA1955)

再び生きたい。

地の深い所から引き上げられたい。

究極的には、死んだままにしておかないでください、そういうことですね。

そんな大それたこと、思って良いのかと凡人なわたしは怯えたりもしますが、一方でなるほどそういうことか。と、思いました。

それにしても、神様は讃美を住まいとされるのですね。あのですね、やっぱり讃美という神様の住処の扉をトントントン、こんにちは、神様、会いに来ましたってするの、大事ですね。

なんかよくわからない日記(わたしのこの日記が。リンク先の結城さんのではなく)ですけども、そんな感じで、おやすみなさい。


2014年03月14日(Fri)

なんかまたいろいろ流行ってるみたい

違う学区の友達の小学校ではインフルエンザで学級閉鎖がいまごろ出てきてるみたいです。

わが家は一昨日、こどもが嘔吐。そして今日、わたしが。ノロ系列かな?

一昨日の嘔吐したこどもは、その時、夕飯前だったので、絶食させて水分補給だけで寝かせたのですが、「なんで別のときには飲むゼリーくれたのに今回はないの?」と尋ねられました。

うん。体調不良にもいろいろあってね、喉の腫れからくる発熱の時は飲むゼリーをご飯がわりにするけど、嘔吐の時は水分補給だけで絶食がいいんだよ、と、教えました。


2014年03月15日(Sat)

体調悪いと熱が下がってゆきます。

とってもだるくてだるくて、これは熱があるだろう!

と、体温計ではかってみると、35℃台。

体調が悪くなると、なぜか体温がさがる不思議。

ホッカイロあてて、ふとんにくるまってぬくぬくしました。

いまは36.2℃まで上がったので、だいぶ快調です。

ただ、夫が隣で38℃で寝込んでますけどね…。

みなさまも春先の緩み、お気をつけください。

べてるの家

北海道浦河に統合失調症の人々のコミュニティ、べてるの家というのがあることを、とあるブログを通して知りました。

そこでは、患者本人が当事者として自分自身を研究し、仲間の前で発表し、時には素晴らしい妄想や幻聴に賞を与えあっているそうです。

そうやって病は完全に癒やされないけれど、なんとか生きる、生き延びてゆくやり方を見つける人がたくさんいる。

これはいったい、なんだろう?と、思って、たくさんの書籍があるのですが、三冊、選んで読んでみました。

同じエピソードも繰り返し出てくるのですが視点がそれぞれ異なります。わたしが読んだ一冊目はプロのライターが取材という形で客観的にべてるの家を書き下ろした『降りていく生き方』、二冊目はべてるの家を始められたソーシャルワーカーの向谷地生良さんの『「べてるの家」から吹く風』、三冊目は患者本人らによる当事者研究『べてるの家の「当事者研究」』。

当事者研究は、表面からみるとみんなの前で病態を言語化する、一種のパターンランゲージ作りのようにもとれるのですが、でも、三冊読むことで、それは単純に何でも話していいよ、苦しさを小手先でまとめて言語化するよという場があるということではなく、同じような問題に苦しむ者同士が、弱味を晒しあい理解しあうこと、言葉やボディランゲージによって受け入れること、心配しあうこと、心配しても裏切られること、裏切られてもやり過ごして待つこと、そんな深い深い場があるのでした。

深すぎて、殺人までおきて、それすらも弱味として晒しているようです。

べてるの家、なんなんだろう。今のわたしは直接、関わるとかはないのですが、世の中にはこんなコミュニティがあるのだなぁ、と、驚きました。

Tags: 読書

2014年03月18日(Tue)

世界一周ブログで、イスラエル、パレスチナ自治区へかなり突っ込んで入っていってるブログのご紹介。

更新されると読んでる世界一周系のブログで、イスラエル、特にパレスチナ自治区の中に三週間滞在され、いまはヨルダンへ抜けられているようですが、パレスチナ自治区の現在を丁寧にレポートされているブログがあるので(勝手に)ご紹介します。*1

2014/03/03のエントリーからイスラエル入りが綴られています。

イスラエルという国の名前はクリスチャンにとっては馴染み深いものですが、でも、現在のイスラエルやパレスチナ自治区についてはそんなには知らないというのが正直なところですね。

本当に自分は知らなかったなぁ、と、いうことがたくさんあります。

あと、上記のブログとは関係ありませんが、もう少しイスラエルやパレスチナを知るために太田道子さんの『ことばは光』を読み始めました。太田道子さんはプロテスタントからカソリックへ改宗し、ナザレに拠点を作り「地の平和」というNGOを立ち上げ、パレスチナ難民支援活動をしている日本人女性です。この本も興味深い本です。

ことばは光 (1)
太田 道子
新教出版社
¥ 1,995

ことばは光 (2)
太田 道子
新教出版社
¥ 1,995

*1 というか、自分のためのメモ

天使の梯子

今日はかなしみが強いです。 曇っていて寒いからかな。

誰かと会って話がしたい。 かなしいよりも さみしいんだな。

三月は移動や卒業やお別れの季節で。 やっぱりお別れはさみしいし これから来る人がどんな人なんだろうっていう 怖れがあるな。

ふと、嵐の湖で慄く弟子たちを イエスさまがわたしが共にいるのにどうして怖れるのかって お叱りになったの思い出す。

弟子訓練って言葉をたまに目にするけれど、なにか修行して 強くなるようなことじゃなくて、 イエスの弟子たちのように、 人間的に怖れ惑い裏切り、 徹底的に自分が無力なことを知らしめられて、 神様に降伏する。 ただただひれ伏す、 そして喜びをいただく(喜べるだろうか?)。

そんなところに連れて行かれるのではないかと、 そんなことに わたしは耐えられるのか、 怖い。

試さないでください。 試みにあわせないでください。

主の祈りがぽっかりと浮かびあがってくる。

遠くの山にかかる雲の切れ端から、 天使の梯子が降りて、 でも、 すごい勢いで雲が風に流されてゆくから、 梯子もそのままで生き物のように移動してゆく。


2014年03月19日(Wed)

最近のなやみ。というか、くやしさ。かなしみ。そして人生の不思議。

おろしたての靴下が、三足連続で、同じ箇所、穴が空きました。しかも、どれも、一回目で。

どういうことでしょう。ハサミをもった小人さんが靴の中にでも住み着いてしまったのかしら。

一回しか履いてないのにもったいないなぁ。色柄違いじゃなくて、同じ靴下を買うようにしようかなぁ。そうすれば、片方ダメになっても…って考えるのはジョスィですねw

ちなみに、そんなジョスィのわたしの娘はおしゃれ女子です。なんでジョスィから女子が生まれたのか不思議だなぁ。


2014年03月22日(Sat)

歌う修道女 イタリア

イタリアの修道女、一夜にしてスターに

イタリアといえばローマカソリック。

そこの修道女が、オーディション形式のポップ歌謡番組に出て、大人気になったというので、動画探してみました。

↓これ

http://youtu.be/TpaQYSd75Ak

残念ながら審査員とのやりとりイタリア語なのでわからないのですが、後ろ向きの椅子に座った審査員が、誰が歌っているかわからず、歌が良ければ椅子を前に向けて聴くというもの。

で、この審査員が椅子を前にした時に、目の前に修道女が歌ってたという驚き方が!

イエスが人となって世に来られたという喜びにリンクするかのようで、涙しちゃいました。教会に、修道院に、行かないで、向こうからやって来てくれたという喜び。本物って素晴らしい。

もう少し冷静になってこの動画のどこがどうすごいか言語化してみます。

動画を見て歓喜の涙に溺れてました。

この動画のすごさは「福音」を現しているからです。

福音というのは、良き知らせ、それは神様が人間となって人を罪から救うために世にきた、というものです。

罪は、神様から目を背けていることです。またその状態から派生して生じるさまざまな苦しみです。

神様に目を向ける、というのが、大事なのです。

これが動画では、まず、ステージに、シスターに背を向けた審査員で現されています。

そして、シスターが歌い始めたNo One。この曲は、神様と人間の間にある愛の歌です。神様を求める人はきっと心に、魂の奥底にグッと握っている熱いもの、そんな愛です。

歌声に反応した審査員が椅子を正面に向けます。

そして、そこに居て歌っているのがシスターで、この世においては神様の愛にすっぽり包まれて、隠されて生きているような人であることに度肝を抜かれます。

教会へ、ミサへ、修道院へ、この世の罪や未練を断ち切らないと行けないような(と、世間的には思われている)"聖"の世界、そこから、自分たちの世界へ降り立ってくれた。

あのオーディション形式の審査員、どういう方々かわからないのですが、でも、きっと、イタリアの音楽業界ではそれなりにやって来られてきている大御所なのではないでしょうか。

音楽って、すごく魂の世界に近いから、近い分、背負っているものも大きくて、あまりにも"聖"なる教会へは近寄れない、そこで、そのままで、世俗の中で音楽を通して神様へ繋がるってことを覚悟しているような人たちかもしれません。

そんな人たちの目の前に、シスターが福音を携えて、試されにきた。

もはや、どちらが試しているのかわかりません。

音楽を通して神様へ繋がることに賭けている人たち、神様の福音を携えきたシスター。

さあ、あなたは、その声を聞き分けて、福音に目を向けることができるのか?

歌われているのは、天上の麗しい神様をほめたたえる歌ではなく、自分たちが魂の中にたぎらせている神様を求め愛する熱い想い。ほんと神がかった選曲です。

見事、全員、振り向きましたね。振り向かないはずがありません。

シスターも審査員も大勝利です。

教会や修道院から世に踏み出したシスター、決して一人の思いではありません。背後で何人かのシスターたちが見守ってましたね。

そして、審査員が振り向いたことに本当に喜んだ、あれは、得点が入るとかそういうレベルではなく、福音が届いたという喜びでしょう。まるで、天使たちが喜んでいるかのように見えました。

審査員の中でも、とりわけ全身に刺青をいれた人、あの人は、首元に天使の羽を入れるくらいなので、神様を求める思いがとりわけ強い人だったのかもしれません。魂の底から、目の前に福音を携えてやってきた人を喜び迎えている、そんな様子に、いやー、もう、ほんと、すごいもの見てしまったなと、こちらの魂が震えてしまいました。

あのような愛の応答はイタリアだからなし得る出来事で、日本にはまた日本のカタチがあると思います。あれをそのまま日本でやるのは違和感ありますが、いやー、世界は広いしいろんな可能性があるな!と、本当に良いものを見せてもらってしあわせな一日でした。

と、書いてみたけど、やっぱりぜんぜん冷静じゃないな。

うん。

ちょっとここのところ、十字架にばかり目を向けて、のたうちまわっていたので、きっと、今日、このタイミングでこの動画を見たのは、神様が「福音忘れてなーい?」ってよこしてくれたラブレターだったのでしょう。

そういうことにします。


2014年03月23日(Sun)

趣味Do楽 NHKテレビテキスト "ゼロからはじめるデジタル講座 くらしのタブレット"に取材記事にしていただきました。

気ままに書いている日記ですので、話題はあちこち飛ぶのですが、わたしの日記をある目的で検索して辿りついた編集さんに、メールで取材を受けまして、記事にしていただきました。ムックのp.83に登場しますので、書店などで見かけましたらお手に取ってご覧ください。

取材されたのは冷蔵庫にタブレットなどを貼り付けて、楽しんでた日記で、こちらになります。

目に止めて取材して下さった編集さんに感謝します。ありがとうございました。

ゼロからはじめるデジタル講座 くらしのタブレット (趣味Do楽)
熊坂 仁美
NHK出版
¥ 1,050


2014年03月24日(Mon)

歌う修道女の前にいた審査員はどんな人たちのか?

というのが気になったので、ちょっと調べてみました。元からイタリアはマウロパガーニとかプログレ通して好きだったのですが、調べてみたら、なにこのわたしの大好きな音楽が……!クリスチャンになる前のわたしならば、「これは神!」とか叫んでそうなくらい良い音楽の人たちでした(感涙)。

PIERO PELU

足を椅子の上に投げ出していたおじさん。LITFIBAという硬派なロックバンドのボーカルをしていたようです(現在、脱退済み)。*1

Raffaella Carra

最後に振り向いた業界の女首領ですか?という風格のある女性。こちらをみると、イタリア最大のエンターテイナーで南米やロシアでも人気があるそうです。女優、歌手、バラエティ番組司会など。

J-Ax アレッサンドロ・アレオッティ

全身タトゥーのお兄さん。ARTICOLO 31というイタリアン・ヒップ・ホップの元祖ユニットで活躍してたそうです。YouTubeにPVたくさんあって、どれも見応え聞き応えバッチリ。

PV中には通りすがりの司祭服を着た男性の正体が聖職者ではなく不良中年のように描いたりしたものもあったりして、キリスト教に思うものは深そうです。

Noemi

両サイドを刈り上げにしたかっこいいお姉さん。審査員の中では一番若い32歳。歌声が、ハスキーボイスで、すごいです。オフィシャルサイトのトップに貼られた"Bagnati dal sol"のPV、ちょっとプリズン・ブレイクを思い出しましたけど、良い曲ですね。ヘビロテしてしまいそう。

ああ、イタリア語…解ったらもっと深く知ることが出来るだろうにと、じたばたしちゃいます。

*1 これは超失礼かもだけど、メトロファルスに似てる!!どちらが似てるかわからないけど。ピエロはイタリアのヨタロウなのかしらん。


2014年03月25日(Tue)

J-AX - Musica Da Rabbiaが凄かった。

怒りの音楽という曲で、 心象のなかで、 銃に打たれまくっても、 血みどろで笑っているという。

こういう人に「あなたは神に愛されてる」とか言っても無駄で、 言う人自身がいかに神と対峙してるか、 ガッツリ見られるので、 見破られるので、 そりゃあ、No Oneになりますねぇ、と。

そして、そんな血みどろの怒り抱えてたとしても、 案外、 その人の底の底は、No Oneなのだったりしそう。

チャレンジタッチ到着しました。

我が家で初のAndroid機になるかと思いますが、こども用にチャレンジタッチが到着しました。

一ヶ月、自主的に勉強したら契約するという約束で、なんとか一ヶ月頑張りました。えらいなー。

ハマってくれると良いけどどうかな。今日は来たばかりこどもはウキウキです。

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2014年03月26日(Wed)

チャレンジタッチに嫉妬

夫さんがチャレンジタッチのメッセージ機能でこどもに励ましのメッセージ送ってる!

わたしも夫さんから応援のメッセージ欲しい!

お母さん版チャレンジタッチはどこですか?

→こどもにお母さんもがんばって!とにこにこ応援されたので、「お母さんはお父さんに応援してほしいから、伝えといてくれる?」と頼んでみた。

J-AxのPV見てて、hip-hopの音楽と歩くことについて考えてみた。

なんせ、イタリア語ですから、歌詞の意味はわかりません。

ただ、音楽と動画見てて、これって強烈に人のカラダを動かすエネルギーがあるなと感心しました。

どんなに痛んでも、歩け、前へ歩けというようなメッセージがあるような。

気のせいかな。

昨日、貼った動画、最後に頭を撃ち抜かれて、それでも、歩いてくんですよね。倒れないで。

それは救いがないって絶望なんだけど。

これはすごいや。すごい慰めだわって思いました。

そして、そういう文脈の延長で、あのシスターとの動画は、ほんっと、福音すげー、なのです。そりゃあ、大歓喜だわ。


2014年03月27日(Thu)

十字架

万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める。 (ゼカリヤ書 13:7 JA1955)

そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう』と書いてあるからである。 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。 (マルコによる福音書 14:27, 28 JA1955)

主イエスが十字架に付けて殺されるという出来事は、確かに罪ある人々の手によって引き起こされたことですが、それは、根本的には、主なる神が主イエスを打つ出来事なのです。主なる神は、人間の罪に対する裁きを一人子の上に下されました。それは、神の子が神から裁かれるという出来事なのです。

"横浜指路教会 www.yokohamashiloh.or.jp"

十字架というのは、罪を憎み給う義の神とどんな罪人も見捨てることができない愛の神が戦い給う場所なのです。神様がふたりいるということではなくて、同じ一人の神様が、その中において戦っておられるわけです。

"説教でつづるイエス様の物語"

数えてみよう、主のめぐみ

幼稚園の時、お祈りすることを教えてもらい

小学生の時、盲目の少年に、底抜けに明るい信仰を見せてもらい

中学生の時、聖書と礼拝と讃美歌を教えてもらい

高校生の時、どんな時にもイエスさまは一緒だと教えてもらい

大学生の時、人間の求める心の深さを教えてもらい

社会人の時、洗礼を授かって

いま、教会が与えられている


2014年03月28日(Fri)

歌う修道女を前にしたNoemi姐さん

相変わらず、イタリア語、わかりませんが、Noemi視点を妄想して、No one歌うシスター動画とNoemiのお勧め動画を記しておきます。

Noemiはシスターが歌い出した歌声に、なんじゃこりゃって、ほんといち早く反応して、J-Axに続いて間髪置かずに振り向くくらい。感性鋭いですね。

二人とも

"You and me together

Through the days and nights"

というところで、反応したんですよね。

No Oneの原曲には、恋を百戦錬磨こなしてきたような女性が、求めてた愛は男女の愛じゃなくて、神の愛だったのよねぇって、少し哀愁のこもった響きがあるのですが、シスターはその哀愁がすこーんと抜けてて、まっすぐに神様のとこにいっちゃってる。

(ちなみに、J-Axがピエロとカッラに強力にプッシュしたのは、二人とも年寄りですので、原曲の哀愁の方に価値を置いて、あまりにもすこーんと抜けてまっすぐすぎるシスターに気づけない可能性が高かったので、あのとりなしはすごいなぁって思います)。

聖書には昼も夜もというのはあちこちに出てきますが、あの動画は詩篇1:1-6をベースにすると読みやすいですね。

まず詩篇1:1-3はシスターの歌ったNo Oneだし、シスター自身。

1幸いなことよ。

悪者のはかりごとに歩まず、

罪人の道に立たず、

あざける者の座に着かなかった、その人。

2

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、

昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

3

その人は、

水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、その葉は枯れない。

その人は、何をしても栄える。

[新改訳聖書より引用]

そして、続いて詩篇1:4-6はこうなります。J-Axはこちら側の世界を歌うことで、そこから求めてる人ですね。

4

悪者は、それとは違い、

まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。

5

それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、

罪人は、正しい者のつどいに立てない。

6

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。

しかし、悪者の道は滅びうせる。

[新改訳聖書より引用]

YouTubeのPC版で翻訳みたらNoemiはそこに見事な選曲って言ってますし、day and nightのところを褒めてます。そしてJ-Axに続いて振り向いたタイミングも見事。

(カッラは最後にJ-Axに「この悪魔!」って言ってますが、歌を越えてあの場面を作品として仕上げてしまったクリエイターの業の指摘みたいなものでしょうねぇ。クリエイターとして褒め言葉になってしまっている。ほんと業の深い人たち 笑)。

そんな感性の持ち主のNoemiは、シスターが歌ってる時に、舌を出したりしてましたが、あれは、女神様ごっこやってたら、ホンモノがきてしまったー!というような、イタズラっ子がイタズラ見つかって笑ってるような感じでしょうね。か、かわいい。

でも、Noemiも女性のままならなさをうまーく歌う人で、イタリア語の歌詞はあいかわらずわかりませんが、このPVはすばらしかった。父の愛をたくさん与えられてる幼子のようであれば和解は簡単だけど、"女"になると競いあったりしてうまくいかないのよねぇ、人間って愛から離れるとほんとダメだわー、みたいなPV。(歌詞わからないからちょっと違うかもしれないけど)。

イタリア語わかりませんので、すべてわたしの妄想かもしれません。日記でした。

今日のあれこれ

ここのところぶっ飛んでますが、日常的な日記でもひとつ。

こどもが花粉症的な目のかゆみを訴えてきたので、眼科行って、買い物してきました。

わたしは花粉症ではないので、知らなかったのですが、薬局で花粉症はどんなお医者さんで見てもらうといいんですかと尋ねたら、ちゃんとしたアレルギー検査なら大学病院になるけど、花粉症なら耳鼻科ですねと教えてもらいました。なるほどー。今回もらった薬が切れたら耳鼻科行こうと思います。

じつは、こうしたちょっとした疑問を人に尋ねるのが、わたしはものすごく苦手な人でした。なので、インターネットの検索にすべて尋ねる習慣を身につけてたのですが、最近、そうでなくても良いかなって気持ちになってきたのですね。なぜならわたしがわたしの得意な分野を人に尋ねられるのは好きだからです。

で、その後、消費税増税前の小さな行動で、調味料の大入りのを何種類か買って、こどもが春用の薄手のカーディガンが欲しいというので洋服屋さんに行って、お昼用のお弁当買って帰宅しました。

外はすっかり春で、桜もほころび始めて、来週あたりはお花見かなと思いながら帰宅しました。

恵み*2

すこし十字架を復習してたところで ペテロがつまずいたところが出てきて つまずくってそういえばマルコ4:16-17にも出てきたなぁと振り返り これはペテロのことだとわかりました。

聖書におけるつまずきって信仰を無くすということだけれど、自分が自分の力で持っていたと思っていた信仰が打ち砕かれて、無力になって復活の主に会い "主こそわが神"ですと 本当に神様が与えてくれる信仰に立つ 聖化のプロセスなんですね。

たったひとつのみ言葉で始まったからし種ほどの信仰が、鳥を休ませるほどの信仰に育つプロセスに含まれるのだな、とも。 ペテロはつまずいたのに主に用いられて教会の始まりになったというのはそういうこと。

聖書、深いですね!

*1 すみません、タイトル変えました。そこで、そのままで、それでいいって言われたので。

*2 すみません、タイトル変えました。そこで、そのままで、それでいいって言われたので。


2014年03月29日(Sat)

ピエロおじちゃん

ロケンロールの人なので、PVよりもライブ音源多めでWeb経由だとちょっとつらいのですが、こちら、良かったです。

他のバンドの曲に参加したようですが、まるでデーモン小暮閣下とヨタロウさんがduoってるよう←わかる人が超少なさそうな喩え

日記的な事柄としては

喫茶店で太田道子さんの『ことばは光 2』を読んでて、ヨルダンのアズラク難民キャンプで出会った、国連が定める難民にも、帰還民にも、亡命者からもこぼれ落ちてしまったような、存在の小さな、イランからイラクそしてヨルダンへ流れてきた若い夫婦が赤ちゃんを抱えて途方に暮れている場面で、涙がとまらなくなってしまいました。

難民キャンプでは、やってきた人に、まず毛布を与えるそうですが、ここはあなたに安心な場所ですよ、という象徴行為なのだそうです。


2014年03月30日(Sun)

打ち砕くというのは囚われから自由にしてください、解放してくださいという祈り

一番、根深いのが、「わたし」で、自力じゃ無理だねー。

いやー

無理無理。 無理無理無理!

とほほーん。

とりあえず、途方に暮れながらボケらっとしましょうかね。

こどものころ、わりと素直に思っていたこと

神様っているねー

天国?もちろん行きますよー

なんでキリスト教とイスラム教は喧嘩しちゃうの?仲直りしなさいってイエスさま来てくれたのに(と、言いつつ兄弟喧嘩はするわけです)

……。人間って複雑だなぁって、大人になって、わかってきました。

PMSつらーい。あー、ままならないわー。


2014年03月31日(Mon)

変化がある方が安定する

と、いうことで、幾つか、身辺整理だん。

どんどん所属がなくなってゆくなぁ。

最後に残るのはなんだろう。

「わたし」?

いや、このサイトも経済行き詰るか死ぬまである気がする。ホスティングサービスに支払い途切れたらなくなる仕様。

日本人であることもなくならなさそう。と、いっても、もう、一般的なところからはすっかり程遠いところに居るのだけれど。

あと、つらつら考えて、クリスチャンが自分を打ち砕いて下さいと祈るのは、やはり傲慢な気がした。何のための十字架!

微笑みつつ歌いつつ歩いていきましょ。

桜は満開。


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