2016年03月09日(Wed)
■ そのままで
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」 ローマ人への手紙 8:38-39 JA1955
そのままでいいから、来いと、呼ぶ人がいる。
2016年03月19日(Sat)
■ 行きつ戻りつ。
今年の2月は日記がなかったことに気がつきました。
2月は短期派遣で10ン年ぶりに、9-5時でオフィス勤務していたのです。
ずっと家庭にこもっていたので、そろそろ仕事をしに表へ出てみようかな?月曜から金曜まで、9-5時で働けるかな?という実験でした。
結果から言うと、まだちょっとフルタイム勤務はわたしには難しい感じです。理想は週3勤務くらいですが、事務やIT系ではそんな案件皆無ですね。すみません…。
上の子が四月からお弁当生活が始まるので、それに備えて朝お弁当を作ったりしましたが2週間で家事は破綻しました。家事力低っ。家事力は段取り力と体力が必要ですが、体力が持たなかったです……。
仕事で過集中を起こして、帰宅するとへろへろ。夕飯も作れないくらいに疲れてました。自分一人ならいいのですが、育ち盛りの子供がいるので困りました。
本当にフルタイム勤務のワーキングマザーの方々はすごいなと思いました。
また、専業主婦から社会復帰の道のりの厳しさも身にしみました。
でも、仕事をするって楽しい!働いて、賃金もらえるってそれだけで精神の安定にもなりますね。また、チームで仕事をする楽しさも味わえ、人にも恵まれ、本当に感謝でした。
2016年03月26日(Sat)
■ 自制。……できなかった。
身近なところでトラブルがあって、これはもう個人ではどうしようもないし、数年がかりかなぁ、という感じで構えているのですが(すでに年単位で経過してます)、言葉にならない積もる気持ちはあって、気づいたら人を責める声を発してしまって、気づいたらもう声が出てしまった後で、頭真っ白(ここら辺、事情を具体的に書けなくてごめんなさい)。
折しも明日はイースター(復活祭)なのですが、去年、今年と深く十字架の道行きを味わわせてもらっているためか、声を出したあと、自分の中にある「イエスを十字架につけよ」と声を上げる群衆の要素に、がっくりきました。
問題を神様に委ねようと思っても思っても、なかなか手放すことが難しいと砕かれました。クリスチャンらしく愛、寛容、柔和、自制を身につけられてない自分に、そして、自力でそんな自分になろうと思う自分に二重三重にがっくりです。
でも、がっくりするのは自分に目を向けてるからですね。がっくりした自分を神様に差し出しましょう。
イエスさまは、そんなわたしの弱さのために自ら十字架にかかり、そして、死んで葬られたのですが、それだけではなくよみがえられたのです。
明日の復活祭は、ご復活のイエスさまの足元で礼拝するマグダラのマリアを黙想しながら、教会の礼拝へ行きましょう。そうすれば大丈夫。イエスさまに会えるから。
「すると、そこへ突然イエスがお姿を現わされ、目の前にお立ちになり、「おはよう」とあいさつなさいました。 二人はイエスの前にひれ伏し、御足を抱いて礼拝しました。」 マタイによる福音書 28:9 JLB
「たとい二、三人でも、わたしを信じる者同士が集まるなら、わたしはその人たちの真ん中にいるからです。」」 マタイによる福音書 18:20 JLB