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shinoのときどき日記


2014年05月01日(Thu)

シェルパへ。

4/18、ネパールのエベレスト(サガルマータ)で、大勢のシェルパの方が、氷瀑の雪崩に巻き込まれ、犠牲になられるという事故がありました。

シェルパは、もともとネパールの山岳民族の名称でしたが、高所で生まれ育ち、体質的に高山に強いこともあり、欧米やロシア、中国、日本、韓国など、経済的に豊かな国から、世界一高い山に登ろうと、ヒマラヤ山脈を目指してやってくる多くの登山家、登山隊をサポートするお仕事をするネパールの人々を指す言葉になっています。

ヒマラヤ山脈の中でもエベレストは世界一高い山として有名ですが、女性で世界で初めてこのエベレストに登頂したのは、日本人の田部井淳子さんです。田部井さんも登頂された時に、パートナーとして一人のシェルパが付き添い、シェルパの力添えがあってこそ、登頂出来たと著書の中で記されています。

ネパールは経済的に貧しく、ヒマラヤ山脈など登山やトレッキングなどの観光資源に、経済基盤を頼っています。多くの外国人が集まる場所なので、シェルパといった登山サポートの仕事の他、各国の料理をその国のレベル並みに再現して出す料理店も街中でたくさん出店されているようです。

また一方、外貨を稼ぐために日本にもたくさんのネパール人が出稼ぎに来ています。近年、バックパッカーの人は10年前よりもネパールに日本人観光客が居ない、少なくなったと言いますが、この10年、ネパール料理店が日本にすごく増えています。わたしの住む横浜近辺は、どんな駅周辺にも必ず一軒はネパール系の料理店があります(ネパール料理だと知名度が低いので、インドカレー屋やエスニック料理店の看板が多いです。もちろん、インド人のインド料理店もあります)。わたしのような一般人でも、ネパールまで行かなくても、ネパール人とコミュニケーションできる環境があるのです。

今回のニュースを見聞きして、いろいろ考えて胸が痛んだのですが、わたしは登山本、ネパール料理店の一ファンとして、何か出来ないかと思い、そんなことをしても自己満足は承知の上で、近所のたまに訪れるネパール料理店に、お花を持ってゆきました。お花を持ってきた理由を話すと、ネパール人のお店の方は、微笑まれて、花を受け取ってくださり、感謝です。また次、行く時は料理を美味しくいただきにゆきます。

今回の事故のご遺族の方々に、サポートがありますように。悲しみに慰めがありますように。


2014年05月02日(Fri)

のぞいているのは鍋の中

煮えたかどうだか見てみよう

と、いうわらべ歌がありまして、確認してみたら、

あぶくたった 煮え立った

煮えたかどうだか 食べてみよう

むしゃむしゃむしゃ

まだ煮えない

見てるんじゃなくて、食べてみる、味見をするというのが、大事なようですね。

大抵の料理の失敗は、味見をしないことです。

味見をしてから、盛り付けましょう、という、大事な料理の知恵のある歌だなぁ、と、感心しました。

そういうわたしは味見しないで、料理出して、顰蹙を買うことが、ままあります。台所では、このわらべ歌を歌って、味見することを思い出そうと思います。

元ジョスィ母が男子を育てる心がけ

じつは、この問題は模索中なのですが、少なくとも、お風呂前に、"I am ちんちーん!"と謎の踊りをするこどもと一緒に踊らないで、爆笑しつつも、一応、「ダメでしょ!」と、早くお風呂に入ることを促すようにはしたいものです。

お風呂場から謎の歓声が上がってきますが、見ざる聞かざる言わざるです。


2014年05月06日(Tue)

待ち望む

心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。 (イザヤ書 35:4 JA1955)

彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。 彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。 (イザヤ書 42:2-4 JA1955)

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。 (ヨハネによる福音書 14:1-4 JA1955)

論じ合うこととか会議とか

主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。 (イザヤ書 1:18 JA1955)

“Come now, let us settle the matter,” says the Lord. “Though your sins are like scarlet, they shall be as white as snow; though they are red as crimson, they shall be like wool. (Isaiah 1:18 NIV)

Come now, and let us reason together, saith the Lord : though your sins be as scarlet, they shall be as white as snow; though they be red like crimson, they shall be as wool. (Isaia1:18 KJV)

たまに、「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」という、この部分だけ取り出して、「バンザーイ!きよめられた!」とする人がいて、クリスチャン以外には、クリスチャンであっても旧約にあまり親しんでない人は、きょとーんとしたり、その喜びように鳩が豆鉄砲食らったような反応を示すことがあります。

わたしがそうでした。大喜びする人にすごい違和感ありました。で、この聖句はなるべく近寄らないようにしていたのですが、 ふと、改めてよく読んでみたら、その前に条件があるのです。

「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。」

われわれというのは、ここでは神と人ですね。一緒に論じ合おう、話し合おうというのです。

これを聖書を読む人が適用するなら、聖書をよく読んで、聖書に書かれている事柄を神様が自分に語りかけていることとして、読む。

また、クリスチャンならば問題の解決に話し合うという姿勢を持つことが重要な気がします。

また別の言い方をするならば、会議です。会議しようということです。

論じることでも、会議でも、問題に対して異なる意見や立場が出ます。それを一致させようとはここでは書いてありません。異なる意見は異なるままに、異なる立場は異なるままに…かどうかわかりませんが。でも、互いを語らせる、そのことが白くなる秘密だよ、と、言っているのですね。*1

そして、話し合うこと、論じ合うということそのものに従うならば、地の良きものを食べることができるし、もし、その席に着席せず話し合わないなら、滅ぼされるというのです。

先日読んだ旧約聖書学者の太田道子さんの本にユダヤ教の文化が少し紹介されてて、その中で意外に思ったのは、ユダヤ教では会堂で話し合いをした時に、満場一致は何かがおかしいから、一致したとしても必ず異なる意見や反論を促すそうです。

ユダヤ教というと、キリスト教が出てきた宗教で、まだまだ現役、健在な宗教です。その強さの秘密は、この、話し合う、会議文化、そして満場一致を阻止する力にあるのではないでしょうか。

また、キリスト教にもそうした会議における不一致の文化は引き継がれていると思います。

よく、クリスチャンは新約に出てくるイエスの弟子に喩えられますが、イエスも、イエスの弟子たちも、当時は基本的にユダヤ人、ユダヤ教なのですね。

そして、一枚岩のように弟子たちが結束してるか、一致してるかというとそうでもない。

弟子の中からイエスを敵に売り渡すイスカリオテのユダも出てきますし、復活のイエスに弟子たちが会った時にその場に居なかったトマスもいます。

何かそういう、一致の中の不一致を孕んでいる。例えば、トマスは弟子たちの中で突出した意見をよく出しますが、そのことによって他の弟子に責められたとは書かれていません。(ユダヤ人からみて異邦人である文化では、トマスを「疑い深い弟子」と言ったりするようですが、ユダヤ文化から見るともしかすると常識の範囲内の異論表明かもしれないと思います)。

一緒に論じ合うという席に着席することが大事なんだよ(一致じゃなくて)と、この箇所は教えてくれているような気がします。と、思ったので、メモ。

あと、わたしは日本人なのでつい一致を求めて焦ったりするのですが、異なる意見や立場に対しては、「そうなんだ」と話を聞いて流すのも、ひとつのテクニックとしてアリかなー、と、最近、思ってます。(でないと、こどもの喧嘩とか仲裁できない)。

*1 「べてるの家」の 当事者研究って、これだと思うのですよね。


2014年05月07日(Wed)

鶏レバーの煮物 トルコもどき。

先日、トルコの方に、トルコ流鶏レバーの煮物をおすそ分けしてもらいました。

わたしはそれまで、鶏レバーの煮物というと、砂糖と醤油で甘辛く煮たものかレバーペーストしか知らなかったのですが、トルコでは、玉ねぎと一緒に、塩とクミンとあと何かもう一つスパイスを入れて煮込んで、仕上げにオリーブオイルを垂らすそうです。

トルコ流鶏レバーの煮物、美味しかったので、再現ではなく、自宅にあったスパイスでトルコもどきの鶏レバーの煮物を作ってみました。

鶏レバーは牛乳に30分漬けて臭み抜きして、脂肪と血の塊を丁寧に取り除いて、水洗いして下準備。

小鍋に水、鶏レバーを入れて、塩少々、クミン、オレガノ、ローズマリー、それからカレーパウダーを振り入れて味付けして煮ました。

美味しかったです。鶏レバーは貧血に良いそうなので、月に1,2回は食べたいなぁ、と、思いました。


2014年05月09日(Fri)

なぜ、賢治ではなく、イエスを信じるか。

ふと、昨日、懐かしい宮沢賢治を手にとってみました。それはわたしが中学生の頃に、両親の知り合いのクリスチャンであるカナダ人夫婦が、帰国の折に、わたしにプレゼントしてくれた『宮沢賢治 イーハトーブの光と影』という本です。

その本のP.92に、賢治の絶筆(亡くなる前、最期に記したもの)が掲載されていました。

方十里稗貫のみかも

稲熟れてみ祭三日

そらはれわたる

病(いたつき)のゆゑにくもらん

いのちなり 

みのりに棄てば

うれしからまし

[『宮沢賢治 イーハトーブの光と影』より引用]

病のために死にゆくいのちだけれども、多くの稔のために棄てるならば、これほどうれしいことはない。

これは、聖書を読む人ならば、一粒の麦を思い起こすのではないかと思います。

よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

[ ヨハネによる福音書 12:24 JA1955より引用]

一粒の麦が地に落ちて死ねば、豊かに実を結ぶようになる。

これは、イエスが十字架の前日に弟子たちに伝えた言葉です。十字架、すなわち、イエスの死の直前です。

教訓ではなく、事実、死ぬ前の言葉です。

その後に、イエスはどのように言葉を続けたか。

今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。 父よ、み名があがめられますように

[ヨハネによる福音書 12:27, 28 JA1955より引用]

あれだけ、弟子たちを心騒がせるな、信じなさいと言っていたイエスが、死を前にして自分の心が騒ぎ、自分が何を言ったら良いのかと惑い、そして、父なる神に救いを求めているのですね。

一昨年だったか。わたしの無宗教の友達が、倒れ、救急搬送され、呼吸停止しそうになったので、喉を切開し空気を肺に入れるチューブを装着し、何日もICUで生死をさまよいました。

その後、友達は回復されたそうで、一通のメールをくれたのですが、短く「あのね、人は死にそうになると、祈るんだよ。神様、助けてって。わたしもそうだった」と、記してありました。

死を前にしたら、神様、助けてくださいと、ふつうは祈るように思います。それは、弱さではなくて、そうだからです。

わたしも将来、必ず向かえるこの世の死を前にして、賢治のように「うれしからまし」と立派に言えるかというと、無理な気がするのです。そんな自信が自分にはまったくない。ぜんぜんない。むしろ、イエスのように、友人のように、「神様、助けてください」と祈るように思います。

そうだから、賢治ではなく、イエスがわたしにとって、キリスト(救い主)であって信仰の対象なのです。


2014年05月10日(Sat)

ボイストレーニング at コミュニティセンター 二回目

陽気はすっかり夏めいて、歩いていくと軽く汗ばむくらいでした。コミュニティセンターを囲む木々は新緑に染まり、ベンチではゆっくりお茶を飲んでる人がいる、そんなのどかな雰囲気です。

今日のボイストレーニングもまた、ストレッチ、リップロール、課題曲というメニューでした。

ストレッチは、根幹を意識した腿上げをしました。重心をまっすぐ置いて、腹筋で腿上げをする感じと言われたのですが、なかなか難しい。でも、最近、よく歩いてるのですが、歩くときの姿勢、肩のはり方、顎の引き具合、腕の振り方など意識するポイントを教えてもらえたのは良かったです。

リップロールや発声では、吸った息を腰のあたりに溜めることを指示されて、なんとなく、吸った空気をそのまま背の下の方に羽にしてたたむようにイメージしてみました。声を前に出すのではなくて、身体の内側で響かせる感覚をもう少し馴染ませないとな、と、今後の課題です。

歌った曲は前回に引き続き、"you'd be so nice to come home to"で、今回はsang, Under, loveの母音の発音の違いや、"Under an August moon"といった発音の並びの強調と省略のコツを教えてもらいました。

みんなでうまく歌えたと思った最後に先生が「では、男性が歌いやすいキーにします」と、DmをGmに下げたら、これがもう、メタメタに歌えなくて、「では次回(ニヤリにっこり)」と、こういうところ、Jazzの人らしい先生でした。出来たと思ったところを壊して、次に繋げるフリーダムなとこがJazzですね。好きです。

また次回も楽しみです。


2014年05月11日(Sun)

deleted

抜けました。

母の日カード

こどもから教会学校で作った母の日カードをもらいました。

先生方があらかじめ用意しておいてくれた、クマの形の台紙に、耳や目、鼻のパーツをノリで貼ってカードにしたようです。

下の子が作ってくれた時の話をしてくれたのですが、「先生ねぇ、耳のパーツを逆さまにして、鼻の穴にしちゃえばって言ってたんだよ。おもしろいねぇ!」(こどもはダンスィではなく男子なので耳は耳の位置に貼って鼻の穴にはしないで、カードをちゃんと作ってましたよ)。こ、これ、元ジョスィとしては爆笑せざるを得ません。

あんまりおかしかったので、こどもに「来週、先生と会ったら、鼻の穴にお母さん、大ウケしてたよって言っていいよ」と伝えたら、「そんなのイヤだよ!」と、恥じらっていました。

男の子というのは繊細で、恥じらう生き物なので、母がジョスィ力を発揮しすぎることは、なるべく慎もうと思いました。(このバランスが難しいですね。なにかおかしなことをしたら、その場で笑ってみてるくらいが良いんでしょうね)。


2014年05月12日(Mon)

子曰く「お母さんの『はい』は信じられない!」

こどもと話をしていたら、こんなことを訴えていました。

子 「お母さんの『はい』は信じられない!はいはいって言ってるだけじゃないか!」

ふむふむ。

私 「じゃあ、お母さんの何は信じられる?」

子 「お母さんの『いいえ』は信じられる」

なるほどー。よく見てますね。


2014年05月13日(Tue)

コラボレーション

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 (創世記 2:18 JA1955)

主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。 (イザヤ書 1:18 JA1955)

また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。 (マルコによる福音書 4:30-32 JA1955)


2014年05月17日(Sat)

こどもと学用品の買い物へ。サブバックを巡るあれこれ。

こどもの学用品を、こどもと買いに行きました。そのうちのひとつに、サブバックがありました。

先日、懇談会へ行った時に、「A4の書類や、図書室で借りた本を入れられるサブバックを用意してください。机のフックに引っ掛けられるようなものが良いです」と、先生から言われたのです。

てっきりわたしは、ランドセルはいま過渡期でA4サイズの紙が入らなくて折れてしまうこともあるので、(A4が入ることを謳うランドセルも最近は出てきてます)、そのために通学用にサブバックを用意してくれということなのかな、と、思ったので、最初、肩掛け手提げ付きカバンでA4が入りそうなのを探して、こどもに「これはどうかなぁ?」と尋ねたのですが、こどもは困ったような顔をして、違うと言う。

「バックはね、持ち帰らないんだよ。ずっと学校の机にひっかけておくの」

そこで、ああ、なるほど!机の引き出しが足りないから、引き出しの補助としてカバンを使うということか!と、こどもと現物を見て回って、会話して、ようやく理解できました。

カバンというと、まず、ものを入れて運ぶ機能をイメージしてしまいますが、運ぶことを削除して、ものを入れるという機能だけを利用する、そんなこともあるのだなぁ、と、発想がわたしに足りませんでした。

これは本当なら学校の教室へ行ってみんながどうしているのか見るのが早いのですが、見ないで理解する場合、よくよくこどもの話を聞かないと、親である自分が、なかなか学校やこどもの意図が分からなくて、頓珍漢なものを与えてしまって、こどもを困らせることになるので、こどもに聞くって大事だなぁ、と、思ったのでした。


2014年05月19日(Mon)

パラダイム転換

イエスが十字架にかかった時に、二人の罪人が横にいて、そして片方は「助けてください、イエスさま」と言い、もう片方は「信じます、イエスさま」と言った。

で。

イエスは「信じます、イエスさま」と言った罪人に、「今日、あなたはわたしと共にパラダイスに居る」と答えたのです。

十字架にかけられて、もう何もできない。愛することも、行動もできない。イエスのために何かすることなどできない。

でも、「信じます、イエスさま」と言うこと、これによって、人は罪人であっても、イエスと共にいることができるのですね。

信じます、イエスさま。この思いが、クリスチャンにとっては一番、重要だと思います。信じることで、インマヌエル、我らと共にいてくださる神が共にいてくださるのです。

最近、なにか、こう、今まで自分は助けてくださいイエスさま、という姿勢だったけれど、信じますイエスさまという姿勢にパラダイム転換する時期だな、と、迫られてます。


2014年05月21日(Wed)

満たし

(まことの言はここになく 修羅のなみだはつちにふる)
罪人 斎藤宗二郎の門口に
まことの祈りの声きこゆ
この言に命があった
そしてこの命は人の光であった
すべての人を照すまことの光があって、世にきた
そして
関係がありながら 命が重なって重なって生きてきた
命が先行して生きてきた
いま
わたしは大口を開き
この命で満たされよう

quoted and rewrite by shino

Kenji Miyazawa,John,Kazuo Ohno,Asaph



2014年05月24日(Sat)

ボイストレーニング at コミュニティセンター 3回目

よく、腹筋、腹筋、と、言われるけれど、よくよく考えてみると、腹筋ってどこだか具体的にわかりますか?

今日は腹筋を使って足と腕を近づけたり伸ばしたりするストレッチを教えてもらってたのですが、突然、腹筋ってどこらへんだろう?と疑問が浮かび、その場で先生に尋ねてみました。

先生、優しくて、丁寧にここら辺ですよとわたしの腹筋を触ってくれて(女性です)、さらに、ご自分のシャツをめくって、腹筋に力を入れて、ほら、こんな風に出る筋、ここですよ、と、見せてくれました。

「わかった?」と、言われたものの、「すみません、位置はわかりましたが、腹筋に力を入れるということがまだよく分からないかもしれません^_^;」と答えました。でも、後ろから、高齢の方が「良い質問だ!自分も初めて知った!」と言ってくれたので、良かったです。(このクラス、本当に雰囲気よくてすてきすぎる)。

身体って、意識すると難しいですね。ふだん、歩いたり屈んだり、よく自然にできるものだと不思議です。

前回、最後にうまくできなかったところは、先生曰く「音感はできてる。だから、コードの中の音に入れているから一応、音は成立してる。でも、メロディ(旋律)が外れてて、解釈した表現としてやっているならジャズとしては良いけれど、みんなが誰かにつられているならば、それは良くないです」と、基本の旋律を抑える大切さを教えてもらいました。

もうひとつ、旋律に沿って声を上げ下げするのに、手を上下に動かして音程を取るのもアリで、先生がライブでアドリブで歌う時は、手を動かして旋律を作りながら声を導いてるということも教えてもらいました。(たぶん、この手の動きはセルフ指揮なんだろうなと、解釈しました)。

今日も楽しいレッスンでした。


2014年05月26日(Mon)

お祈りします。

愛する天のお父様

あなたは救いの神、赦しの神、癒しの神、慰めの神、助けの神です。

救いを求めるものには救いを。 赦しを求めるものには赦しを。 癒しを求めるものには癒しを。 慰めを求めるものには慰めを。 助けを求めるものには助けを与えてくださいます。

あなたは魂の奥底の言葉にならない呻きを聞き、 ひとを決して、ひとりにはしません。

あなたは人を見捨てず、裁きをせず、自らを愛ゆえに打たれ、その血潮を持って、人を罪から贖ってくださいました。感謝します。

あなたは 罪人を招き、 病にあるものを招き、 悲しむものを招き、 痛むものを招き、 疲れたものを招き、 打たれたものを招き、 ひとりであるものを招き、 すべてのひとを招き、 そして、その命の恵みで 満たしに満たし、 決してその魂を飢えたまま帰されることをしません。

渇くものには命の水を与え、 その水は満ちに満ち、 渇いていたものから やがては命の水が満ち溢れ 流れるほどになります。

あなたはその手から命を決して洩らさず あなたの愛は極みの底の底までいたり あなたの赦しは十字架により この地上から天まで満ち満ちています。

そして、あなたは信じる者を 地の底にあるような者ですら 引き上げてくださいますから感謝します。

主イエスさま、あなたがすべての人を照らすまことの光であることを感謝します。

主イエスさま、あなたがこの世に来て下さったことを感謝します。

インマヌエル、 主イエスさまは共に居て下さいますから感謝します。

すべてのことに感謝して、 主イエスさまを通して 父なる神様をほめたたえます。

そして、あなたは最善を成してくださいますから感謝します。

主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。 アーメン


2014年05月27日(Tue)

福音とは何か -福音を求める人へ

キリスト教の福音とは何かを語ることはとても難しいことです。

人それぞれ、受け止め方が異なるからです。それは不思議なくらいに違います。でも、そうなるのはひとりひとりの人を、神様が良く知って、その人、その人にあった福音を、告げ知らせてくれるからなのだと思います。

ただ、福音をもっと知りたい、聖書を読みたい、教会選びをこれからしたい、という方に一つの安全基準をわたしは示します。

聖書には四つの福音書があります。この福音書からはみ出たことを福音とする教会、牧師、指導者には注意してください。

人の罪はイエス・キリストの十字架により赦されている。これ以外に救いの条件をあれこれ付けてくるところには気をつけてください。

あなたの道行きが守られますように。


2014年05月28日(Wed)

キリストの愛は燃えているか。

また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。(イザヤ書 42:3JA1955)

イエスさまは、傷ついた人を、その傷ついた部分を折ってないことなどせずに、あらゆる手段を使って、何度でも、何度でも、消え入りそうな、キリストへの愛を、燃やそう、燃やそうと、息を吹きかけられる。

何度でも。何度でも。

キリストの愛は、自分で燃やそうったって燃えるものじゃない。

自分が燃えてると感じるのは、それはイエスさまが息を吹きかけてくださっているのだ。


2014年05月30日(Fri)

暗号のようですが、ニュアンスはわかりました。

先日、こどもがアリの観察をしました。

学校から帰ってくると、小分け袋に砂糖と塩をそれぞれ入れて、友達とアリの観察してくる!と家を飛び出して行きました。

そして、数日経って、一枚のプリントを手にわたしの前にきて、「アリがなぜ行列するのかを説明します」と、そのプリントを読みました。

プリントと言っても、課題の「アリがなぜ行列するのか」に対する、観察の結果をこどもが手書きで書いている、それを読んだのです。

正直に言うと、暗号のようでした。でも、ニュアンスは伝わりました。こどもが一生懸命、アリを観察して、何かをわかったという喜びは伝わりました。(本当は何がわかったのかを整然と話してくれるといいのですが、大人だって難しいことです…)。

それで、ふっ、と、気がついたのは、人が何かを理解しつつある過程というのは、他人から見ると暗号のようなのですね。

いま、わたしは例えばtwitterやブログでいろいろな人の話を読む。中には「なんでこの人はこんなことを言うのかな?」と、理解できないこともある。たくさんある。

もっと言うと、わたしはクリスチャンなので、教会の礼拝で説教を聞く。いろんな牧師の説教を聞いてきました。すべてがわかったわけではなく、なにを言ってるのかわからない説教もある。

それは、わたしの知識が足りないとかそういうためなのかな?と、思って情報を集めたり、観察したり、勉強したりしたのですが、そうではなくて、相手も理解の途中にあって、でも、何か表現しなくてはならない。そんな時に、何か、暗号めいてしまうのは、致し方ないのかなと、理解しました。

だから、この前、結城浩さんが、相手の言うことを遮らないで聞くというノートを公開されてましたが、暗号めいている部分をいったん、遮らないでそのまま聞いて、後から指摘するのは大事なことだなぁ、と、思うに至りました。


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