2014年07月01日(Tue)
■ 舞踏家・大野一雄 「殺してはならない」
わたしが通っていた中学・高校は、ミッションスクールだったので、毎年、クリスマスになると、クリスマス特別礼拝で、イエス・キリストの聖誕劇がありました。
台詞はなく、音楽と人の動きだけの劇で、それは舞踏というジャンルの表現のものでした。
そして、毎年、乙女マリア役で舞踏家の大野一雄さんが出演くださっていました。
中学生で、初めて見た時は驚きました。だって、男性のそれも高齢の方が白塗りで、マリアの衣装を着て、天を仰いでいたのですから。その仰ぎ方も、地の底から、畏れと慄きとをもって、ゆらり、と、仰ぐような、そんな仰ぎ方です。驚かない方が無理です。
高校生も終わる頃になると、不思議とその聖誕劇を待ち焦がれるようになりました。マリアは御使い役の生徒のまえに伏して、天を仰ぎ、そして、自分の両腕でぎゅうっと自分を抱きしめ、そこに命をいただく動きをされるのに、何かほうっと安心しました。
大野一雄さんは、昔、学校で体育の先生をされ、定年後、用務員として働かれ、その後、70歳を過ぎて世界的に有名になった舞踏家だということは在学中になんとなく知りました。わたしがその舞踏を見ていたのはその70歳を過ぎてからです。
最近になって、もう一度、大野一雄さんについて調べる機会を与えられて、いろいろと見ていたら、あるテレビ番組で、インタビューを受けている映像を見つけました。
そこで、大野一雄さんは第二次世界大戦で戦地に赴いた時のことを少し語られていました。
「逃がすの専門ですよ。敵がいたら、逃がす。あっちへ行ってしまえ。『殺してはならない』。そういうことですよ」
2014年07月04日(Fri)
■ 終わりが見えないという状態は苦しいけれど、終わりはあります。
家庭で、夫婦で、育児で、介護で、職場で、仕事で、同僚との関係で、学校で、勉強で、試験で、友達との関係で、いじめで、いろいろなシチュエーションで、苦しいことはたくさんありますね。
いつ終わるんだろう?この苦しみは。苦しみ自体が苦しいというよりも、その苦しみの終わりが見えないという状態が、ひとつ、大きな苦しみです。
そんな時に、いくつかやり過ごすための工夫(心の持ち方)があります。
- 苦しい状態には終わりがある。必ずある。
- だいたい精神の緊張状態は3ヶ月ほどで尽きる。
- 口を開くとろくなことを言わないので、黙る。
- しかし、頭と心はフルに回転させる。
- すみません、ごめんなさいよりも、ありがとうと言う。(スーパーのレジとかで良い)
- 気持ちを吐き出したい時は守秘義務を持つ人に持ってゆく(カウンセラー、医師、牧師など)
- 何かテーマを決めて淡々とログを取る。
わたしはイエス・キリストを信仰していますが、この神様は、天地を作られ、その天地には始まりがあり終わりがあると定めています。また、一人の人間にも生と死という始まりと終わりを定めています。
その神様が人間を造りました。そして、一番、大切なことは神様をほめたたえることだと言いました。ならば、神様は賛美出来ないほどに弱った人を見捨ててはおきません。
苦しみにある時は、まるで人生すべてが苦しい状態にあるように感じられますが、神様は決して見捨てません。必ず逃れの道を用意してくださいます。そして、終わりを用意してくれます。
苦しみには終わりがあります。
その苦しみの涙がすぎる時、心に泉がわきます。その泉から流れる水は、生きた言葉となって、あなたを活かします。
2014年07月05日(Sat)
■ ボイトレメモ
本日でsummertimeおしまい。歌い方が山ほどある曲なので、まだまだ、探り中だけど、アリア的にどう歌うかはこれからのわたしの個人的な課題にします。
発声について、身体を管のようにして、声を通すことを意識しないと、わたしはすぐに喉から口を通して前へ声を出してしまう癖があります。たぶん、3回目の指摘。
声は腰に溜めた空気を肺を通して低音ならば胸で響かせ、高音なら眼球の後ろあたりで響かせるイメージで。まだ、低音から高音へ響かせる位置を滑らかに移動させるコツがつかめなくてもどかしいです。
あと、もっと低音域を伸ばしたいけれどどうしたら良いか、今度、機会があったら先生に尋ねてみようと思います。
次回からはボサノバの「イパネマの娘」を英語バージョンで歌うそうです。手元の楽譜はポルトガル語バージョンしかなくて、ウェブでざくっと検索したら、ポルトガル語と英語は、歌詞の内容が少し違うようです。どんなアレンジが出てくるか、楽しみです。
2014年07月06日(Sun)
■ 声の祈り
天のお父さま その聖なる御名をほめたたえます。
あなたは人を霊だけの存在とはせず、 まず肉体を造られ、最初の人に息吹をかけいれ、肉体のある生きた人としてくださいました。
そして、あなたはわたしの知らない髪の毛の数までご存知で、わたしの見ることの出来ない身体の内側もご存知です。
身体はふいごのように空気を吸い、吐き出し、それは身体の内側を響かせ声になります。
声。
主なる神様、あなたは声をもって、この世に介入してくださいます。
そして、あなたはわたしたちに声をゆだねてくださいました。
わたしたちのこの口は汚れています。あらゆるつぶやき、不平不満、邪な思い、自分本位な欲望。隣人を裏切る剣のような言葉。そんなことを無意識に平然と声に出してしまいます。
そんなわたしの罪のためにイエスさまが十字架にかけられ、罪を赦して下さったことを感謝します。
イエスさまが、ガリラヤの風香る丘で、人びとに話されためぐみのみことばを語る声を、わたしにも聞かせてください。
そして、どうか主よ。わたしたちの、わたしの、この口から出る言葉のひとつひとつをあなたの御胸をこの世に成すご用のために用いてください。
わたしの身体から出る声を、どうか、あなたを賛美するものとして整えてください。自分を愛するように、隣人にも愛を伝える声としてください。
愛する主イエスさまのお名前を通してお祈りします。アーメン
2014年07月07日(Mon)
■ 疲れちゃった時のお祈り。
かみさま。
今日、ひとりで 道を歩いていて、 地面に目を落として、 でも、 涙も出ないくらいに、 わたしは疲れてました。
天を仰ぐこともできません。
でも、道に目を落として、 イエスさまが 「わたしは道である」 と、言ったことを思い出しました。
わたしは、 かみさまと一緒なんですね。
今は疲れて、涙も出ないくらいに疲れて、 道に目を落としていますが、 かみさま、あなたが道ですから、 感謝します。
イエスさまのお名前をとおして、お祈りします。
アーメン
2014年07月26日(Sat)
■ ももクロのコンサートへ行ってきました。
ももクロ*1メンバーの一人が、子どもの通う小学校の卒業生で、事務所のご好意で子どもたちをコンサートにご招待下さったので、日産スタジアムへ行ってきました。
アイドルのコンサートは、わたしは中学生の時に行った渡辺美里以来かな。(渡辺美里さんをアイドルと言っていいのか謎ですが。いや、それを外すと小学生の時に観たイルカ以来…?)
受付では、校長先生や副校長先生も働かれていて、お疲れさまでした。
なんとなく、Webを見て知っていたのですが、今のアイドルのコンサートってみんな手にランプを持って、波のように振るのですね。日が暮れてきたら、会場中に光が溢れて、うわー、すごいな、美しいな、よくファンが訓練されてる!(褒め言葉ですよ)と、ライブを体感しました。楽しかったです。
通路を挟んだ隣の席のお兄さんは本当に熱心にももクロを応援していて、その姿に、なんだかこちらが励まされましたね〜。かっこよかったです。
小学校枠は、ノリがみなさんとかなり違ったのですが(ほぼオールスタンディングなのに、そこだけみんな座って冷静に観戦してる、みたいな)、メンバーの方がステージから「今日は小学校の仲間が来てくれてます」と紹介してくださる配慮をしてくださったり、お兄さんたちも歓迎してくださったり、プロの場作りってすごいなと感心しました。
ももクロのみなさん、これからもヒロインとしてがんばってください。応援してます。
帰り道、あるレストランでは結婚披露パーティーをしてて、花嫁さんのウェディングドレス姿は美しかったし、電車のホームでは、駅員さんたちが身体を張って人の流れを事故が起きないように整備してて、その姿もかっこよかったことを付記しておきます。
子どもたちも大いに楽しみ、なんだか良いものをたくさん見れた一日で感謝でした。
*1 正式名称?週末ヒロインももいろクローバーZ。五人組の女性戦隊系アイドル