2015年05月15日(Fri)
■ 礼拝 天を見上げる
六本木の教会へ金曜礼拝へ。
ここのところ、モヤモヤと疑問であったことが、説教でスーッとときほぐされて、恵みの礼拝でした。
イエスさまを信じる者が、地の果てまでも証人として証するのは、イエスさまが十字架に架けられ、わたしたちの罪のために死なれたこと、そして、死んだだけではなく、ご復活されたこと、さらにもう一度、この地へ来て救いを完成してくださること。
もう一つ、今の教会の礼拝の原型が使徒行伝1章で表されていること。それは、ご復活のイエスさまが生きていることを示し、神の国のことを語られたこと、この語るというのが説教で、食事を共にするというのは聖餐式のこと。
今の教会の礼拝の原型を聖書箇所のどこに基づくのかで、わたしはしばらく混乱していたのですが、恵みの時代の今、はっきりと、ご復活のイエスさまの説き明かし、そして共に預かる聖餐式にあることがわかって、安心しました。
使徒行伝1:3-11
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。 そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。 (使徒行伝 1:3-11 JA1955)
コリント第一の手紙 15:3-8
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。 (コリント人への第一の手紙 15:3-8 JA1955)