2017年02月04日(Sat)
■ 聖書朗読 「友よあなたに」
『友よ歌おう』という1970年代に出た、フォークソング調の賛美集があります。
友よ歌おう 〈新価格〉 ゴスペルフォーク・ヒット集(太平洋放送協会)
この中に、上原令子さんという女性ゴスペルシンガーの曲がたくさんあるのですが、その中の「友よあなたに」は、神様の愛、イエス様の愛を受けた人が、友に満ち足りた喜びを伝えたいという曲です。
わたしはここで、パウロを思い起こしました。
パウロは、最初、クリスチャンを迫害するユダヤ教(つまりユダヤ人)のローマ市民(当時、ローマ市民権を持っているのは自由人、奴隷ではない身分ということ)でしたが、ある時、イエス様に触れられて、回心して、それから熱心に福音伝道に励んだ人です。
何度もイスラエルからトルコ、ギリシャ、イタリア、ローマを伝道に歩き、時には船で、そして、ある時には、迫害される側になり、牢屋に閉じ込められました。
パウロがローマで牢屋に閉じ込められた時に、ギリシャのマケドニアにあるピリピ教会の人々が支援しました。その時に、パウロがピリピの教会の人々へ送った書簡です。
支援の感謝と、そのピリピの人たちの気持ちが神様へ届くためのとりなしの言葉と、そして、神様から応答があることを祈る言葉です。イエス様にあって、満たされるものがあることを信じている言葉。
牢屋にいるのに、それを感じさせず、励まされる言葉です。
「わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。 わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。
エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。
わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。」
2017年02月10日(Fri)
■ 聖書朗読 明日を守られるイエスさま
昭和のフォークソング風なゴスペルですが、『明日を守られるイエスさま』という曲があります。
明日はどんな日か知らないけれど、主イエスがいるから、私は心配しない。という内容の曲です。
マタイによる福音書で、イエスさまが弟子たちにメッセージした時に、語られている箇所の応答の曲と考えると、とてもしみじみと歌えます。
今回はそのマタイによる福音書を朗読しました。
「それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」