2017年01月12日(Thu)
■ 2017年 年間聖句 詩篇18篇28節
「あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます。」
詩篇 18:28 JA1955 http://bible.com/81/psa.18.28.JA1955
あけましておめでとうございます。
今年の年間聖句は詩篇18篇28節。この聖句で呼びかけている「あなた」は父子聖霊の三位一体の神様であり、主イエス・キリストです。
イエス様を信じて仰いでゆきたい。
未熟者なので自分の心を覗けば、様々な不安があり、言いようのない重みや闇があります。
でも、イエス様を信じます。光は私の中にはなく、イエス様が光で、照らしてくれるのです。
新約聖書に、弟子たちが乗った小舟が、嵐にあい、弟子たちは船が沈んでしまうのではないかと激しく動揺する場面があります。
その時、イエス様はその小舟の中で寝ていました。そのイエス様を弟子の一人が不安のあまり、起こすのです。起き上がったイエス様は弟子たちの不信仰を叱咤され、そして、「しずまれ」と嵐の湖を静めたのです。
私の心はいつもちょっとしたことで不安になったり、ぐるぐるしたり。でも、「イエス様、信じます」。自分から目を上げて、イエス様を仰ぐのです。
そうすれば、今も生きて天にいて私達のために祈ってくれているイエス様が、平安を送ってくれます。
イエス・キリストの平安が共にある一年でありますように。
インマヌエル。
2017年01月14日(Sat)
■ ヨハネによる福音書朗読が終わりました。
2015年の初旬から、通っている賛美集会で「ヨハネによる福音書」の朗読のご奉仕をさせてもらっていました。
それが昨日で、最後まで朗読し終えることができました。以前の日記で聖書朗読を始めるご報告とお祈りのお願いをしていましたので、今日のこの日記はその朗読、終わりましたのご報告です。
私は正式な訓練を受けた説教者ではありませんし、集まりは超教派で様々な神学の元に信仰をお持ちの方もいますし、求道者でこれから教会に行こうかなという方もいますので、特に説き明かしなどはせず、ただ淡々と聖書朗読をさせてもらっていました。
ただ一つ、心がけたのは、聖書に触れるのが初めてに近い人、不慣れな人がいる場合は、次のような説明を添えて、ご本人が聖書の該当箇所を開くまでゆっくりお待ちするようにしていました。
- 聖書は旧約聖書と新約聖書、2つで一つです。それぞれページ数が1ページから始まります。
- 今朗読しているのは、新約聖書、聖書の後ろの方です。
- 救い主、神の御子であり、神ご自身であるイエス・キリストが、天からこの地上に来られて、人間として生きて、そして十字架にかかり死なれ墓に葬られ、けれど、死なれただけでなく、復活されたご様子は、4つの福音書に書かれています。
- 4つの福音書は、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書があります。
- 今朗読しているのは、このうちの「ヨハネによる福音書」です。
- 今日、朗読するのは「新約聖書 ○○ページ、ヨハネによる福音書 ○章○節から○節です」(この部分はゆっくり3回繰り返し、初心者の方も開けることを確認しました)。
聖書ってとても厚いしページ数のある書物なので、自分がいったい聖書のどこを開いているのか分からないまま、朗読が始まってしまうと、目で活字を追えなくて、「ああ、ページが開けなかった!」という焦りで朗読も耳に入らなくなると思うので。
または目を閉じて、ただ朗読に耳を澄まされる方もいます。そうした方にも、わかりやすいように、発話して朗読させてもらいました。
とても恵まれたご奉仕をさせていただき、心から感謝です
2017年01月27日(Fri)
■ 聖書朗読 川のほとりの木
先週から、金曜日の夜に、賛美歌やワーシップなどから1曲とりあげて、関連しそうな聖書箇所を朗読する試みを始めました。
今日は、国分友里恵さんの「川のほとりの木のように」です。曲の歌詞は詩篇1篇を持ってきたものですが、タイトルの「川のほとりの木のように」にちなみ、では、聖書では、どんな「川のほとりの木」が出てくるのか、眺めてみました。
今日、朗読した聖書箇所は次の通りです。
●エデンの園 (創世記 3:22-24)
「主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」
●地 (申命記 30:19 )
「わたしは命と死および
祝福とのろいをあなたの前に置いた。
あなたは命を
選ばなければならない。」
●新天新地. (ヨハネの黙示録 22:1-3)
「御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは、もはや何ひとつない。」
主はこう仰せられる。
「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。
そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。
主に信頼し、
主を頼みとする者に
祝福があるように。
その人は、
水のほとりに植わった木のように、
流れのほとりに根を伸ばし、
暑さが来ても暑さを知らず、
葉は茂って、
日照りの年にも心配なく、
いつまでも実をみのらせる。
(エレミヤ書17章5節から8節)
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない
その人は、何をしても栄える。
(詩篇1篇2節から3節)
イエス・キリストの言葉
「わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、
あなたがたは何一つできないからである。」
ヨハネによる福音書 15:5