2014年03月22日(Sat)
■ 歌う修道女 イタリア
イタリアといえばローマカソリック。
そこの修道女が、オーディション形式のポップ歌謡番組に出て、大人気になったというので、動画探してみました。
↓これ
残念ながら審査員とのやりとりイタリア語なのでわからないのですが、後ろ向きの椅子に座った審査員が、誰が歌っているかわからず、歌が良ければ椅子を前に向けて聴くというもの。
で、この審査員が椅子を前にした時に、目の前に修道女が歌ってたという驚き方が!
イエスが人となって世に来られたという喜びにリンクするかのようで、涙しちゃいました。教会に、修道院に、行かないで、向こうからやって来てくれたという喜び。本物って素晴らしい。
■ もう少し冷静になってこの動画のどこがどうすごいか言語化してみます。
動画を見て歓喜の涙に溺れてました。
この動画のすごさは「福音」を現しているからです。
福音というのは、良き知らせ、それは神様が人間となって人を罪から救うために世にきた、というものです。
罪は、神様から目を背けていることです。またその状態から派生して生じるさまざまな苦しみです。
神様に目を向ける、というのが、大事なのです。
これが動画では、まず、ステージに、シスターに背を向けた審査員で現されています。
そして、シスターが歌い始めたNo One。この曲は、神様と人間の間にある愛の歌です。神様を求める人はきっと心に、魂の奥底にグッと握っている熱いもの、そんな愛です。
歌声に反応した審査員が椅子を正面に向けます。
そして、そこに居て歌っているのがシスターで、この世においては神様の愛にすっぽり包まれて、隠されて生きているような人であることに度肝を抜かれます。
教会へ、ミサへ、修道院へ、この世の罪や未練を断ち切らないと行けないような(と、世間的には思われている)"聖"の世界、そこから、自分たちの世界へ降り立ってくれた。
あのオーディション形式の審査員、どういう方々かわからないのですが、でも、きっと、イタリアの音楽業界ではそれなりにやって来られてきている大御所なのではないでしょうか。
音楽って、すごく魂の世界に近いから、近い分、背負っているものも大きくて、あまりにも"聖"なる教会へは近寄れない、そこで、そのままで、世俗の中で音楽を通して神様へ繋がるってことを覚悟しているような人たちかもしれません。
そんな人たちの目の前に、シスターが福音を携えて、試されにきた。
もはや、どちらが試しているのかわかりません。
音楽を通して神様へ繋がることに賭けている人たち、神様の福音を携えきたシスター。
さあ、あなたは、その声を聞き分けて、福音に目を向けることができるのか?
歌われているのは、天上の麗しい神様をほめたたえる歌ではなく、自分たちが魂の中にたぎらせている神様を求め愛する熱い想い。ほんと神がかった選曲です。
見事、全員、振り向きましたね。振り向かないはずがありません。
シスターも審査員も大勝利です。
教会や修道院から世に踏み出したシスター、決して一人の思いではありません。背後で何人かのシスターたちが見守ってましたね。
そして、審査員が振り向いたことに本当に喜んだ、あれは、得点が入るとかそういうレベルではなく、福音が届いたという喜びでしょう。まるで、天使たちが喜んでいるかのように見えました。
審査員の中でも、とりわけ全身に刺青をいれた人、あの人は、首元に天使の羽を入れるくらいなので、神様を求める思いがとりわけ強い人だったのかもしれません。魂の底から、目の前に福音を携えてやってきた人を喜び迎えている、そんな様子に、いやー、もう、ほんと、すごいもの見てしまったなと、こちらの魂が震えてしまいました。
あのような愛の応答はイタリアだからなし得る出来事で、日本にはまた日本のカタチがあると思います。あれをそのまま日本でやるのは違和感ありますが、いやー、世界は広いしいろんな可能性があるな!と、本当に良いものを見せてもらってしあわせな一日でした。
■ と、書いてみたけど、やっぱりぜんぜん冷静じゃないな。
うん。
ちょっとここのところ、十字架にばかり目を向けて、のたうちまわっていたので、きっと、今日、このタイミングでこの動画を見たのは、神様が「福音忘れてなーい?」ってよこしてくれたラブレターだったのでしょう。
そういうことにします。