2014年03月12日(Wed)
■ 讃美は要求に先立つ
これはわたしが洗礼を授かって教会に通いだしたころに、結城浩さんが日記に書かれていたことで、最近、深くその意味がわかりはじめてきました。
今年のわたしの年間聖句は詩篇71:14です。もろもろの悩み苦しみがある中で、力強く「しかし」とすべてを横に置きます。この「しかし」は本当に重要。
人間だもの。いろいろあります。不安、嫉妬、失敗、疑惑、悩み、苦しみ、痛み、思い通りにならない人生、ままならない"わたし"。でも、もろもろを「しかし」と退けて、ぐるっと心を神様の前に向ける。
心をぐるっと回して神様へ向けて、「わたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう。 」と宣言する。
神様、あなたは素晴らしい方。完全な方。完全な愛。そして光であり、言。真理であって、まことに自由な方。
そうしているとですね、自分の本当の要求。「しかし」の前にごたごたしていたものの、本当の根っこが見えてくることもあります。
詩篇71:20。ここにこうあります。
あなたはわたしを多くの重い悩みにあわされましたが、再びわたしを生かし、地の深い所から引きあげられるでしょう。 (詩篇 71:20 JA1955)
再び生きたい。
地の深い所から引き上げられたい。
究極的には、死んだままにしておかないでください、そういうことですね。
そんな大それたこと、思って良いのかと凡人なわたしは怯えたりもしますが、一方でなるほどそういうことか。と、思いました。
それにしても、神様は讃美を住まいとされるのですね。あのですね、やっぱり讃美という神様の住処の扉をトントントン、こんにちは、神様、会いに来ましたってするの、大事ですね。
なんかよくわからない日記(わたしのこの日記が。リンク先の結城さんのではなく)ですけども、そんな感じで、おやすみなさい。