2014年03月27日(Thu)
■ 十字架
万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める。 (ゼカリヤ書 13:7 JA1955)
そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう』と書いてあるからである。 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。 (マルコによる福音書 14:27, 28 JA1955)
主イエスが十字架に付けて殺されるという出来事は、確かに罪ある人々の手によって引き起こされたことですが、それは、根本的には、主なる神が主イエスを打つ出来事なのです。主なる神は、人間の罪に対する裁きを一人子の上に下されました。それは、神の子が神から裁かれるという出来事なのです。
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十字架というのは、罪を憎み給う義の神とどんな罪人も見捨てることができない愛の神が戦い給う場所なのです。神様がふたりいるということではなくて、同じ一人の神様が、その中において戦っておられるわけです。
■ 数えてみよう、主のめぐみ
幼稚園の時、お祈りすることを教えてもらい
小学生の時、盲目の少年に、底抜けに明るい信仰を見せてもらい
中学生の時、聖書と礼拝と讃美歌を教えてもらい
高校生の時、どんな時にもイエスさまは一緒だと教えてもらい
大学生の時、人間の求める心の深さを教えてもらい
社会人の時、洗礼を授かって
いま、教会が与えられている