2012年11月18日(Sun)
■ 『ザイルを結ぶ時』奥山章 著
1926(大正15)-1972(昭和47)、戦中派の登山家、奥山章は岩と氷の壁に挑むアルピニズムを提唱実践した。これは、後にヒマラヤ鉄の時代と呼ばれる代表的登山家、小西政継に引き継がれる。
奥山は学徒動員前後には丹沢通いをし、青年期にはボルトやハーケンを利用した登攀を繰り広げ、異端と呼ばれるRCCⅡという山岳同人を立ち上げる。
登山と山歩きを明確に区別し、登山に厳しい理想を描いた。そして、その理想を他者が安易に共感することを拒んだ。厳しい人だ。
ボルトを使った登攀は岩を物理的にえぐるため、環境破壊を指摘され、現在は一線を退いた登攀方法だが、当時は画期的で、『岳人』や『山と渓谷』といった山岳雑誌から注目され、たくさんの寄稿をした。
この本はそうした寄稿と死後整理された未発表の遺稿から成る。戦中、戦後と登山が盛んな時代、日本の前衛的アルピニズムを知るには最適な本だ。
また、日本女性で初めてマッターホルン北壁を登攀した今井通子隊にカメラマンとして同行のエピソードや、ソ連の登山学校の視察、シャモニーなどヨーロッパの登山状況のレポートなど、内容は濃い。
今井通子のマッターホルンについてはまた別に本人の山行記があるのでそちらをあわせると読者はひとつの登攀を複眼的な視点で知ることができる。
ソ連の登山学校視察のレポートは、1996年のエベレスト大量遭難の時に活躍したガイド、ブクレーエフのバックグラウンドが垣間見れる。ソ連の共産主義は批判されるものもあるが、すべてがマイナスではなく集団行動が必要とされる登山など、文化的なスポーツには科学的で合理的な手法を盛んに導入し、質の高い訓練法を築いていたのだと、改めて知らされる。
しかし、厳しい話ばかりではなく、時にはこどもを伴って涸沢に何日もキャンプし登攀した話や遠征先からの奥様への手紙など、家族への愛情も記されていて、前衛的一辺倒ではなく良かった。
だが、奥山はヒマラヤ遠征メンバーに選出された直後に癌が発覚。癌を苦にし、自殺された。
ザイルを結ぶとき (yama‐kei classics)
山と溪谷社
¥ 1,890
■ 『女性ガイドのしなやか登山術』樋口英子 著
何の気なしに手にとってみたら、想像よりも面白かった。
雪山、沢、岩登り、テント泊にビバーク演習。それらの初心者ガイドをしたエッセイで、装備や技術のことよりも、楽しむコツや山そのものの描写に重きが置かれている。
取り上げられている山域も、奥多摩や丹沢が多く、身近なためか、行けそうルート、無理そうなルートどちらにせよ、より具体的に想像が膨らんだ。
また、中高年のハイキングではなく、もう一歩、突っ込んで山に挑みたい場合は、やはり著者が開催しているような山行に入門するのが良さそうだなと思った。
おそらく著者の山行には、初心者といっても、まるっきりの初心者ではなく、ある程度意志を持って日ごろからトレーニングをして、体力を作っている人が望まれていると思う。体力のないわたしにはまだまだ先だ。
あとがきをみたら、雑誌『岳人』に連載されていたものだった。だからこんなに山に本気なのね、と、納得。岩、沢、雪山…。遠い世界だけれど、やっぱり良いなぁ。