2012年11月03日(Sat)
■ 『黄色い牙』志茂田影樹 著
1980年に直木賞を受賞したこの本は、大正末期から昭和18年、第二次世界大戦が始まるまでの時代、秋田県阿仁にあったマタギの集落を舞台に、その集落の最期のマタギの頭を主人公にした作品だ。(ただし、この作品はフィクションで、露留の里、露留峠といった地名は実在しない)。
どの程度までが事実かわからないのだが、この話は、マタギの生活、狩猟、伝統、信仰を主人公を通して豊かに描きだしている。
特に狩猟は圧巻だ。山奥深いマタギの里、さらに奥深く続く原生林で、シカリと呼ばれる頭の統制の効いた指揮のもと、獲物の追い立て役の勢子、仕留め役の射手ブッパが活躍する様がいきいきと描写されている。この集団狩猟は巻狩りと言い、実際にマタギが行っていたらしい。
マタギの狩猟の対象は熊で、巻狩りは、熊が逃げるときに斜面をかけあがる習性を利用し、勢子が「そーれアー、そーれアー!」と追い声をあげ、藪や林に潜む熊を追い立てる。出てきた熊をシカリが見張り、ブッパに向けて発砲指図のかけ声をかける。ブッパが獲物を撃ち取ると、「勝負!」と声を張り上げ、それが狩りの終了の合図となる。
この話はその巻狩りのパターンをうまく使っていて、読み終わったあと、なんとも言えない余韻が残った。
しかし、話は単純に大自然とその恵みの生活には終わらず、鉱山開発、世界大戦、不況、山の荒廃など、近代化の波がマタギの里山まで押し寄せて、代替わりしてゆくマタギの数は減ってゆき、その中で繰り広げられる人間の罪にまみれた諍いがなんとも悲しく、そして最期までマタギの誇りを捨てない主人公の存在が熱い。
『黄色い牙』作中と同時代の話では、『赤毛のアン』シリーズ、特に『アンの娘リラ』がかぶる。牧歌的な最後の時代から、世界大戦への緊張は同じだし、世代交代して大きく文化が変わってゆくうつろいも似ている気がした。あわせて読むと、『黄色い牙』主人公の娘の気持ちに奥行きがでる。ただし『黄色い牙』の方が生臭いので十代読者は注意。
著者の志茂田影樹さんはそういえば、ずいぶん昔から知っている。テレビのバラエティー番組でうかがうファッションはずいぶん人目を引くもので、10年も昔に麻布十番ですれ違ったことがあるけれど、テレビと変わらない格好をされていた。
また、最近はtwitterでもアカウントを持たれ、さまざまな人の人生相談に優しく励ます言葉を送られている。わたしもフォローしていて、傍目ながら、そんな言葉に励まされるところがある。(たまにあまりにも優しすぎる回答にそこまで優しくていいのかなぁ、と、思ってしまうくらい)
けれど、肝心の著作を読むのはじつは今回が初めてで、読み始めたらファッションやツイートの内容とはかけ離れた硬派な文体に驚いた。まだ三つの志茂田影樹さんが結びつかないような気もするが、マイノリティの側に立つ、強い優しさを持たれた方なのだと思う。
それにしても、わたしは、新田次郎さんや志茂田影樹さんのような、綿密な取材や調査に基づいた小説を今まで知らなさすぎた。読まなさすぎた。直木賞など有名な賞に入った作品や作家は、わざと遠ざけている部分があった。そんな自分の態度を反省した。もう少しまじめに小説というものが何であるかを読もう。