2016年03月26日(Sat)
■ 自制。……できなかった。
身近なところでトラブルがあって、これはもう個人ではどうしようもないし、数年がかりかなぁ、という感じで構えているのですが(すでに年単位で経過してます)、言葉にならない積もる気持ちはあって、気づいたら人を責める声を発してしまって、気づいたらもう声が出てしまった後で、頭真っ白(ここら辺、事情を具体的に書けなくてごめんなさい)。
折しも明日はイースター(復活祭)なのですが、去年、今年と深く十字架の道行きを味わわせてもらっているためか、声を出したあと、自分の中にある「イエスを十字架につけよ」と声を上げる群衆の要素に、がっくりきました。
問題を神様に委ねようと思っても思っても、なかなか手放すことが難しいと砕かれました。クリスチャンらしく愛、寛容、柔和、自制を身につけられてない自分に、そして、自力でそんな自分になろうと思う自分に二重三重にがっくりです。
でも、がっくりするのは自分に目を向けてるからですね。がっくりした自分を神様に差し出しましょう。
イエスさまは、そんなわたしの弱さのために自ら十字架にかかり、そして、死んで葬られたのですが、それだけではなくよみがえられたのです。
明日の復活祭は、ご復活のイエスさまの足元で礼拝するマグダラのマリアを黙想しながら、教会の礼拝へ行きましょう。そうすれば大丈夫。イエスさまに会えるから。
「すると、そこへ突然イエスがお姿を現わされ、目の前にお立ちになり、「おはよう」とあいさつなさいました。 二人はイエスの前にひれ伏し、御足を抱いて礼拝しました。」 マタイによる福音書 28:9 JLB
「たとい二、三人でも、わたしを信じる者同士が集まるなら、わたしはその人たちの真ん中にいるからです。」」 マタイによる福音書 18:20 JLB