2012年11月10日(Sat)
■ 『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』吉田智彦 著
「自由 以降の出勤先は山となる。」
巻頭のカラー写真には、経年を物語る黄ばんだノートに、万年筆の腰のある文字で記されている。それは一万日連続登山を目指した東浦奈良男さんの日記だ。会社を定年で退職した翌日、1984年10月26日の日記だそうだ。
最初は富士山150回登頂を目指すトレーニングとして、三重の地元の山へ毎日通ったという。それが始まりだった。回数を重ねるうちにそれは連続登山一万日という目標に変わった。そして、衰弱で倒れる2011年6月25日まで、27年間、連続9738日、1万1951回の登山を行った。その半年後の12月6日、伊勢市内の病院で永眠される。享年86歳。
東浦さんが富士山以外、ふだん登っていたのは、いわゆる山岳記録の本が伝えるような山ではない。標高500m程度の無名峰を含める低山だ。だが、それを、毎日毎日、駅から取り付きまで3時間市街地を歩くのも含め、続けられた。そして膨大な日記も残された。
ライターの吉田智彦さんが東浦さんの取材を始められたのは8000回登山後、一万日達成を見据えた2006年からだ。当時、山と渓谷の副編集長であった勝峰富雄さんが東浦さんの登山に注目し、多忙な自分の代わりにと吉田さんに東浦さんの登山を追うライターとして白羽の矢を立てたという。
吉田さんは東浦さんの取材を始め、そして日記の存在を知る。私的な内面まで立ち入る日記というものを、果たして読ませてくれるかどうか、おそるおそるお願いしたところ、東浦さんは快諾してくださったそうだ。
東浦さんは耳が少々遠くなり、インタビューが難しかったという。また、口頭の応答は端的な言葉で、心を割って話す表現からは距離を置いてられたようだ。だが、それを補ってあまりある、東浦さんの登山を、吉田さんはこの日記を読破することで、得た。
そのため、本書は、取材を始める前の東浦さんの登山までも、日記から抜粋という形で豊かに記している。東浦さんの文章は、他人に読ませることは前提にしていないものの、独特なユーモアと個性があって、吉田さんの地の文のサポートもあり、読みやすい上、なおさら、迫ってくるものがあった。
東浦さんは表紙から見て取れるように、粗末な、乞食とも勘違いされるような身なりだった。だが、日焼けし、老齢の皺が刻まれた顔は意志がある。どちらにしても、正直、自分がこの人とすれ違ったら、風体から、次にその精悍な顔立ちに気づいたとしても、怖いと思い、道の逆を行くと思う。
けれど、この人は、幸せについて本当の幸せを知っている人だった。
'' 「神は与えるもので、与えられることが幸せ。幸福とは与えられることでなくして、他に与えられることのできる者である。幸せとは人に与え、万物に与えられるものを己れに持つことなり」一九九五年三月二十五日
東浦さんの一万日連続登山の理由は、宗教的なものや、名誉欲や自分のためといった功利的なものではなかった。ただ山に登るのが好きだった。そして、"山を登ること"しか、こどもにも、亡くなった父母にも、そして、病に倒れた妻にも、与えることができなかった。
そんな生き方もあるのかと、わたしはこの本を読み終えて、涙を流した。わたしのここに書ける言葉は拙いので、ぜひこの本は興味が湧いたら手にとって、読んでもらいたい。お勧めの本だ。