2012年10月08日(Mon)
■ 『ダンプ、山を歩く』高橋和之著
1997年に出版されたこの本は、1965年にカモシカスポーツが中野の路地裏の三坪の敷地で開店されたところから始まる。カモシカスポーツの経営者であり登山家でもある高橋和之さんの登山というよりも自伝的な本だった。
女性登山家、今井通子さんの旦那さまで、カモシカスポーツの社長さんだから、とりあえず目を通してみるかというくらいに軽い気持ちで読み始めてみたら、とんでもなく波瀾万丈の自伝で、あっという間に読み終えてしまった。
戦後の混乱期、親は事業を立ち上げるも失敗し、貧乏のどん底で中卒で就職。そんななか、ひょんなきっかけで山に登り、山頂で山好きな人に出会って山にはまる。
初めてお給料を貯めて自分にしては大金を握りしめて、登山用品を買いに行ったら、接客と選ばれた道具に不満が残った。初心者にも優しい登山用品店を作ろうと決意する。
カモシカスポーツは横浜にもあり、わたし自身、先日、足を運んだ時のことを先の日記に書いたけれど、ともかく、山の空気の一部をそのまま持ってきたかのようで、とても居心地の良いお店だった。そのお店の背景にある思想、そして行動がこの本にはギュッと詰まってた。
ヨーロッパのグランド・ジョラス北壁登頂時の結婚式、ローツェやエベレストといったヒマラヤ遠征といった登山人生もあれば、途中からパラグライダーに目覚め、8000m峰のひとつチョー・オユー山頂からは、パラグライダーで飛行して下山したと書かれている。
また、今井通子さんのご両親が飛行機事故で亡くなったときは、山での遭難救助経験から、警察に要請され、現地で邦人の遺体の検証にも携わるという厳しい体験もされたようだ。
そうした驚くような体験もあるけれど、登山用品店の経営者、山岳同人主催者として人脈も広く、今まで、読んできた本の著者のお名前もたくさん目にしたし、芸能人や政界といった華やかな世界とも繋がりがあるようだった。
そもそもわたしがこの本にたどり着いたきっかけのひとつに、イモトのマッターホルンがある。イモトを導いているのが、貫田宗男さんという方なのだが、この本によれば、貫田さんはカモシカスポーツに高校時代から出入りして、ローツェ遠征時は今井通子さんの隊員でもあり、30年越しの付き合いがあるそうだ。何か、今井通子さんからイモトに繋がった気がするのは気のせいだろうか。
高橋和之さんのエベレスト登頂遠征計画はまず一年目にローツェに登る。ローツェはエベレストのすぐ隣で、登山ルートも途中までエベレストと一緒なのだそうだ。それで、少しエベレストのルートに慣れてから、二年目にエベレスト登頂を目指すというものだった。
イモトの次のエベレスト登山計画も二年かけるという。一年目はヒマラヤのどこか8000mの山、二年目にエベレストを狙うと告知されている。もしかして、一年目はローツェだろうか。
過去の話と、今、進行している話が、人を介在して絡まり合い、想像が膨らんでゆく。高橋和之さんの波瀾万丈、そして、サクセスストーリーな自伝から、なんだか不思議な力が湧いてくる気がした。
■ 『二人のチョモランマ』貫田宗男著
1991年、まだ日本では極地法でのエベレスト遠征登山が根強い時代、会社員登山家だった貫田宗男氏と二上純一氏が二人だけのパーティーでエベレストに挑んだ話である。
二人だけと言っても、現地ではシェルパを雇い、酸素も利用してのスタイルだが、結果として、二上氏は登頂できたもののそのすぐ後、東稜に滑落され行方不明となってしまわれた。
この本は、二上氏の追悼であり、また、残された五人ものこどもたちにお父さんがどういう人で、どんな風に世界最高峰に登ったかを記録して残すために筆を取られたとあとがきにあった。
最初から顛末が記され、ほんのわずかな距離を離れただけで、始めから行動を共にし、互いによく理解しあっていたパートナーが亡くなる話は、初めて読んだように思う。
書かれていることの真相は当人にしかわからないと思う。でも、状況や装備について貫田氏に批判があってもおかしくないことが、フェアに書かれているのではないかと思った。
パートナーを見失った時の描写に胸が痛くなった。