2012年02月17日(Fri)
■ 『最後の冒険家』 石川直樹
気球というと、わたしが思い浮かべるのはトルコのカッパドキアの荒涼とした大地に、朝日を受けて何十機と色とりどりに浮かぶものだ。それは観光用の気球で、なんだかのんびりした世界をイメージする。
だけれど、この本によれば、気球には大きくわけて、そうした観光用のものと、競技用のものと、そして冒険のためのものの三種類が存在するらしい。
そして、この本は冒険のための気球で太平洋を横断して日本からアメリカへ行こうとしたまま太平洋上で遭難し、行方不明となった神田道夫さんについて語っている。
もう少し正確に書くと、この本の著者、石川直樹さんは神田道夫さんの冒険気球の当事者でもあって、神田氏と共に2004年に気球での太平洋越えを試みて、失敗し、航海中の貨物船に文字通り身ひとつで助けられた経験を持つのだ。
そうした実体験を伴ったルポルタージュは説得力がある。特に、気球というと、観光用ののんびりしたイメージしかなかったが、冒険気球ともなれば、その高度は8000メートル以上にも達するというのに驚いた。
高度8000メートルというと、登山では酸素ボンベを吸いながら、また、その高さに達するには何週間か時間をかけて高度順化をする。そうしないと、気圧の変化などにより、脳や肺が異常をきたし、頭痛や嘔吐、幻覚、幻聴、酷いとそれは死に至る症状を引き起こす高山病になる。
気球は登山よりもはるかに急激に人間を8000メートル上空へ連れ出す。もし何冊かエベレスト登山に関する本を読めば、その高度がデス・ゾーンと呼ばれ、そこで怪我や病気が発症したら最後、目の前に人がいても為すすべがまったくないことがわかる。登山以上に気球は何かあったときに為すすべはなさそうに思えた。
わたしは正直、リスクが高いそうした冒険を、何度も失敗しても繰り返すことの気持ちがわからない…。でも、冒険をする人は死ぬためにそれをするのではなく、自分の力をいっぱいに使って、よいしょ、と、登ったり潜ったり進んだりした、その先に見えるものがすばらしいから、行くんだろうな、と思う。