2011年03月26日(Sat)
■ 黙想すること。
キリスト教用語かもしれないのだけれど、「黙想」という言葉がある。
沈黙に似ているけれど、沈黙は他者に対して自己に対して静まりかえって黙するというニュアンスがあるように思うけれど、一方、黙想は一見他者から見れば沈黙しているように見えるかもしれないけれど、自己の内部において沈黙とは異なる。
黙して、想う。思い巡らす。
何を思うのか。
はじめは、わずかな聖句を思い巡らす。
その聖句からふっ、ふっ、と、関連してわき上がってくることを無理矢理、押しとどめずに、また握りしめすぎずに、さらに巡らす。巡らせる。わいてくることをせき止めず、巡らす。
思考とも違う。念じるとも違う。
これをなんと説明したら良いかわからないけれど、なるべく言葉に耳をすます。
自分の中を、自分の声ではなく、聖句で満たしていく。満たされていく。
主はわれをみどりの野にふさせ、憩いの汀にともないたもう。