2011年01月19日(Wed)
■ 自分を目的としない。
"苦しみを通るときに創造性がやしなわれる。あの時のなみだがいまの自分を支えてくれている。"
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『心をつくし、魂をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
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"富がないのが問題なのではなく、神の御心を行いたいという願いが足りないのが問題。"
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"いつもわたしが必要とするタイミングでブログあがってくる、不思議"
"神様が書けと言われたときに書くんですよ!"
"聖霊を通じてつながっているんですね。"
"アーメン!"
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わたしの口のなかであなたの名前が安全で安心でありますように
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「 皆さんはスポーツ選手、しかも武道家だ。「道」の字がつくものはすべて宗教性を基本にしているといってもいい。武道、茶道、華道、みなそうだ。そこでいう宗教性とは神仏を拝むとか経典を読むということではなく、自分自身を目的としないという精神性だ。勝利を目的としないこと、と言い換えてもいいだろう。宗教性とは、自分の利益のためにではなく真実を極めるために、というモチベーションのことではないだろうか。真実があるという前提を持つこと。そしてその真実を極める中で、たとえそれが自分の利益に反する方向であるとしても真実の追及を断念しない、妥協しないということだ。」
-http://a-cup-of-tea.jugem.jp/?eid=268
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自分自身を目的としない。
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たんたんと自分のなすべき事をなしていく。ということのむずかしさ。 毎日、同じことを繰り返していて、これが本当なのだろうかと思う。また逆に本当だからこそ、続けられるのかとも思う。
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テトラちゃんがしたように祈ることができる人になりたい。