2010年09月20日(Mon)
■ ツディ
夏の尋常ならざる暑さを乗り切ったものの、やはり、アジアンタムやベビーティアーズは枯れてきてしまった。アジアンタムは、枯れた部分を切り、こまめに霧吹きをすることで、新芽がでてきているのだけど、ベビーティアーズはどう手をつけたら良いかわからなくて、結局、ツディに植え替えた。
生命力が強いのは、やはり、ポトス。あと、シマネトリコ。
■ 週報と週報ボックスについて
もし、あなたが教会にきて、初めてもらうものがあるとしたら、それは「週報」かもしれない。受付で、新来者として告げると、聖書をお持ちですか?お貸ししますというような簡単なやりとりがなされ、それと一緒に、「これには礼拝のプログラムが書いてあります。お持ち下さい」とわたされる一枚のペーパー。それが、週報と呼ばれるものです。
聖書や賛美歌は貸し出すものなので、次の人のために返却する必要がありますが、週報はそのまま持ち帰って構わないものです。
また、週報がいつ頃から教会に根ざしているか知らないけれど、あまりにも日常のものとなっているので、教会に来る人はそれがあるものとして当然と思い、初めて来る人に少し説明が不足しがちな、そんな存在のもの。
週報には、礼拝のプログラム、その週にある所集会のお知らせ、先週の来会者数など、だいたいそのようなものが掲載されているけれど、教会によって項目や形式は異なります。
そして、洗礼を受け、その教会の教会員になると、週報は受付で手渡されるのではなく、ひとりひとりに「週報ボックス」という郵便受けのようなボックスが割り当てられ、その中に入れられます。都心の大きな教会では、日曜日以外は扉で覆われ鍵がかけられたりもしますが、家庭的な教会では、特別鍵がかけられるようなこともないようです。週報ボックスは週報が入れられることが主な役目ですが、教会にはさまざまな集会があるので、対象者向けに資料や手紙が入っていることもあります。
わたしは今の教会へは、洗礼を授かってから2度目の転会だったのですが、引っ越しで新しい地に根ざそう、根ざしたいと、その教会に初めて行った時に、牧師先生が、本来はその教会員以外には週報ボックスは割り当てられないのだけど、ぱっと、「では、あなたの週報ボックスを用意しましょう!」と用意してくださったのが、とても印象的でした。
また、週報に話を戻すと、結局わたしが前の教会から今の教会へ転会するその時、相互に週報を送りあってもらったことがありました。これはプロテスタントに普遍的なルールなのかどうかは知りません。クリスチャンは洗礼以外、何の証明書もないのですが、教会から教会へ渡る時に、(教会自体の存在を含めて)週報を用いて、こういう風に確認することがあるんだなぁ、と、思いました。