2010年09月15日(Wed)
■ 海。
一昨年、「わたし、海のそばで暮らしたい」と言ってた友人が、 昨年の初めに、本当に、引っ越しをして、海のそばに行ってしまった。
都会定住型のわたしには、ちょっと考えられない機動性だった。
その友人と、久しぶりにすれ違いざまに会い、 そのまま、10分くらい話をしたのだけれど、 なんだか、ぽろぽろと涙がこぼれてしまった。*1
きっと、その友人が身につけた海に、涙が誘われたんだと思う。
と、いうことにしておく。
*1 端的には、ちょい育児疲れ。
■ 西洋の古典 イタロ・カルヴィーノ編
最近、わたしはユーロ系女子ブームなのだが、と、言っても、 「ユーロ系女子」というのは、いま、勝手に思いついた単語で、 フランスに傾倒した高橋たか子と、イタリアに傾倒した須賀敦子の、 二人の女流作家の作品を再読しているところ。 (何度目の再読か!) 目下のところ、この二人の女性が、わたしの中ではとてもアツイ。
その流れで、須賀敦子が翻訳した、 イタロ・カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』を手に取ってみた。 ずいぶん前に、買って、そのままかなり長いこと、積ん読したままの本。
買った当時は、序章の「なぜ古典を読むのか」だけを読んだ。 今回は、その目次を読んでいる。
で、気づいたのだけれど、この『なぜ古典を読むのか』に出てくる古典の流れが、 なんだかおもしろいのですよ。> madame!。
オデュッセイア(古代ギリシャ)、アナバシス(古代ギリシャ)、 オウィディウス(古代ローマ)、プリニウスの『博物誌』(古代ローマ)ときて、 そこまでは、「うんうん。古代ギリシャよね、古代ローマよね」と思っていたのだけれど、 その次が、いきなり時代が1000年くらい飛んで、 ルドヴィーコ・アリオスト『狂乱のオルランド』。
よく知らなかったんだけれど、イタリアの1400年代後半の詩人で、 イタロ・カルヴィーノが傾倒した詩人らしい。
その後に、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)やシラノ・ド・ベルジュラック(1619-1655)、『ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー(1660-1731年)と続く。
まだ目次を見ている段階なのだけど、 なぜこの流れ?この選び? なんだか、わくわくしている。