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shinoのときどき日記


2010年09月06日(Mon)

くらい天からひとかけの雪

ふと、暑さの中で、ひんやりと冷たいものを思い出した。

『永訣の朝』だ。それは、『春と修羅』と名付けられた宮沢賢治の詩集のなかに入っているので有名ですね。

『春と修羅』は、副タイトルに「心象スケッチ」とあり、 現実の岩手の風景と、それに重ねあわせた賢治の心の風景が、言葉でスケッチされたもの。

賢治の心の風景は、須弥山という仏教の神話の構造を持っている。 簡単に説明すると、須弥山には帝釈天などの聖なる神々が住み、 須弥山の周りには海が広がり、その海の底には阿修羅が住んでいる。

阿修羅はもともと須弥山に居た神で、 神話によれば、 帝釈天の妻をかどわかそうとしたか、 帝釈天の大切にしていたお酒を盗んだかして、 帝釈天の怒りをかって須弥山のまわりに広がる海の底に追放された。 阿修羅は、満月の晩になると、須弥山に戻ろうと、海底から浮上を試みる、 そんな存在らしい。

賢治は岩手山を須弥山にみたて、 そのふもとに広がる農村部を海にみたて、 そこに暮らす自分を阿修羅転じて、修羅とみたてた。

そして、阿修羅が須弥山という天上への浮上を試みたように 修羅である賢治も、浮上を試みる。

わたしは宮沢賢治の作品は大好きですが、 でも、救いがないなか、もがき続ける苦しさを感じます。 宮沢賢治についていこうと思っても、 そこに、わたしの救いはないと感じてしまいます。

ただ、『永訣の朝』では、もう命の先がない病に伏して高熱にある妹トシのため、 修羅である賢治は、岩手の野原である海底にびゅっと駆け出し、 ここでは(満月ではないですから)浮上は試みず、 自分を閉じ込めている暗い悩ましい空を見上げ、 その天からやってくる何かをとらえる。

賢治が何をとらえたのか、また、とらえられなかったのかは、わたしは知らない。 読むという体験を通して、修羅に転じた賢治のように、賢治に転じたわたしは、 ここで、聖書の言葉を、欠けた陶椀に掬い、飲むのです。

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