2010年01月18日(Mon)
■ 『図書館ねこデューイ』を読みました。
図書館ねこ デューイ ―町を幸せにしたトラねこの物語
早川書房
¥ 1,600
この本を知ったのは、購読しているカレントアウェアネス・ポータル | 国立国会図書館に、最近、よく読まれた記事のリストが出てきて、その中にあったE574 - 図書館ネコ「デューイ」,その生涯を終える(米国) | カレントアウェアネス・ポータルという記事がきっかけでした。
猫は飼ったことがないけど、猫好き(たださんちのグスタフと、ちゃとらとはちわれは更新されたら欠かさずチェックしてますよ)。図書館もカレントアウェアネス・ポータルを購読するくらいは好き。それに、実際、月に1~2回は図書館通ってます。猫も図書館も好きだし、これは読むしか、と、図書館で借りてきました。
この本は、アイオワ州スペンサーという地域で、図書館長をしていたシングルマザーのヴィッキー・マイロンさんが、返却ポストに捨てられた子猫を拾うところから始まり、猫が死ぬまでの間の出来事を物語るメモリアルな本です。図書館ねこデューイ自身については、直接、本を読んで、猫好きな方は、ぜひ、にやにやしたり、ほろほろと涙してください。本当に、一匹の猫と人の親しい交わりが、ユーモラスに綴られてて、心がふんわりあたたかくなります。
それ以外の、読みどころを、かいつまんでみます。
図書館長という立場から、図書館の理想の在り方を示し、そのなかで図書館猫というポジショニングを行い、実践した書とも言えます。彼女の理想の図書館は次のようなものです。
りっぱな図書館は大きかったり美しかったりする必要はない。最高の設備とか、非常に有能なスタッフとか、最高の利用者は必要ない。りっぱな図書館は必要なものを与えてくれる。地域社会の生活にすっかり溶けこんでいるので、かけがえのない存在になっている。いつもそこにあるので、誰も気づかないのがりっぱな図書館だ。そしてみんなが必要とするものを常に与えてくれる。
[p121 『図書館ねこデューイより引用]
またシングルマザーの立場から一人で娘を育て上げたワーキングマザーの心境もあります。それは詩で書かれているのですが、特に最後の節にわたしは共感を抱きました。育児をしている最中の、親本人って、たとえヴィッキーさんほど過酷な状況でないとしても、「育てるあいだわたしは混乱していた」という状況にあるんじゃないかなぁ、と、思う。
ジョディを育てるあいだわたしは混乱していた
だけどジョディがころぶと、母さんが支えてくれた
ありがとう、母さん、なによりも
わたしの娘を導いてくれて
[p277 『図書館ねこデューイ』より引用]
さらに、スペンサーという地域の住人として、その土地に暮らし、働き、生きるという誇りもあります。著者も伝聞で聞いている話のようですが、スペンサーには有名な大火事があったそうです。その火事により、多くの商店が焼け、膨大な被害額になりました。原因は一人の男の子の過失です。けれど、町の人々は、知っている人もいたかもしれないけれど、誰がやったのか、男の子の名前は秘密にしました。誰かを非難することをやめよう。そして、目の前の問題を解決するために一致団結しようと町の人々は決め、町を誰もあきらめず、放ったらかしにせず、むしろ、いっしょに暮らし、仕事をし、生き残ることを選んだそうです。スペンサーの人々はそれを「進歩的」と言うそうです。
スペンサーの人間に町についてきけば、「進歩的」だと答えるだろう。それがわたしたちの呪文だ。進歩的とはどういう意味かとたずねれば、こう答えるはずだ。「公園がある。ボランティアをしている。常に改善しようと努力している」
[p68 『図書館ねこデューイ』より引用]
でも、たぶん、この本の本当の良さは、一人の女性が人間として生きるとき、もっとも大切なことは何かというヴィジョンを示していることだと思いました。
居場所をみつける。自分の持っているものに満足して幸せを感じる。すべての人によくしてあげる。いい人生を送る。物質的にではなく、愛のある人生という意味だ。ただし愛は決して予想することができない。
(略)
いちばん大切なのは、あなたを抱きあげ、きつく抱きしめ、大丈夫だといってくれる人がいることなのだ。
[p316-8 『図書館ねこデューイ』より引用]