2017年09月10日(Sun)
■ わたしの魂を主に向かって解き放ってください。
長年、その日記を読ませてもらっているはちこさんのスコット・マクナイトの新刊 : ミルトスの木かげでを読みました。
最後に書かれた一文に心が留まりました。
ああ主よ、私のたましいが、あなたに向かってオープンであり続けることができますように。
主に向かってオープンである、開かれている。
そこで湧いてきたイメージがありました。
わたしは言葉拙いので、うまく書けるか分からないけれども。
荒野でも、野原でも、広い広い空間があって、そこに、一羽の小鳥が放たれる。
その小鳥は、レビ記14章1-7節に出てくる小鳥。
レビ記では、人々から隔絶され忌み嫌われたらい病人が清い者とされるために必要な儀式がここに書かれてます。
神様は、二匹の小鳥を用意すること、流れる水を注いだ土の器の上で一羽を殺して血を流させ、もう一羽を香木、緋の糸、ヒソプとともにその血の水に浸してから、その水を清められるらい病人に七度注ぎ、生きてる小鳥を野に放つ、と、記してあります。
ある牧師のメッセージでは、この死んだ小鳥はイエス様の十字架で、野に放たれた小鳥はあなただ、と。
イエス様があなたの罪の身代わりに死んだのだから、あなたは清く生きよ、と。
オープンと、解き放つは、少しニュアンスが違うかもしれないのですが、魂を主に向かってオープンにする、と、読んだ時に、殺された一羽の小鳥は十字架のイエス様、そして、野に向かって解き放たれた小鳥のイメージが浮かびました。
わたしの魂を主に向かって解き放ってください。
朝ごとに新しく。