2014年06月15日(Sun)
■ 聖書に見る難産
twitterを見てたら、難産が話題になっていたので、聖書に出てくる難産のうち二つの話を見てみます。
聖書で難産というとユダヤ人12部族の始まりとなったヤコブの妻が最後に産んだ子ベニヤミンが難産で、妻そのまま死亡、ヤコブは末息子を溺愛しました。
しかし時は流れベニヤミンから始まったベニヤミン族はその後サウル王を出したけど神の意志を行わなかったため、ユダ族から出てきたダビデに王位がとって変わられました。
ダビデは人間の目から見ると、罪だらけ。部下の妻に惚れて、部下を最前線に送り込み殺して略奪婚をするとか酷いことをしています。ただ、ダビデがサウルや敵に追い詰められた時にひたすら神を主としてほめたたえた(詩篇)ので、主はダビデをよしとされました。
新約聖書で、イエスがダビデの子(系図にあり、またバルテマイという盲目の物乞いが信仰を持ってイエスをダビデの子と呼び癒されました)と記されているのは、人間がどんなに罪を犯しても、イエスを信じるだけで救われる(神に義、よしとされる)原型の一つがここにあります。
また、もう一つ、聖書で難産というと、ヤベツという人が有名です。ヤベツは母親に「わたしは苦しんでこの子を産んだから」といってつけられた名前です。母親がヤベツをどうしたか書かれてませんが、ヤベツは兄弟の内で最も尊ばれたと記されてます。
そして、ヤベツはユダヤ人から見ると傍系で異邦人のようでしたが、イスラエルの神に恵みを乞い願い、苦しみを遠ざけてくださいと祈ったら、神はそれを聞き入れたと記されてます。
新約聖書でパウロが異邦人へ福音宣教を広げますが、その原型の一つがヤベツの祈りです。旧約聖書では異邦人ヤベツがイスラエルの神により頼み聞き入れられ、新約聖書ではユダヤ人によってユダヤの王と罵られ嘲られ恥とされたイエス・キリストの十字架によってその恵みが反転し、異邦人へ福音宣教が広がります。
困った時の神頼みという言葉が日本にはありますが、聖書の神様は困った時(困ってなくても)ほめたたえ、頼ると、それに答えてくれます。
ちなみに主なる神様をほめたたえると、ほんと、予想の斜め上を行くとんでもないことが起こることがありますが、同時にそれに耐えうる平安も与えられますし、逃れの道も必ず与えられますから、イエスさまを信じていれば大丈夫です。