2011年04月10日(Sun)
■ 原発は荒ぶる神などではない。
原発は、荒ぶる神などではない。だからと言って、安全に扱えるものでもない。
内田樹氏のブログが奇妙奇天烈すぎて、ついていけない。原発=荒ぶる神って何それ。それはメタファとして語っているのか、本気で語っているのか、理解できない。メタファとしてって解釈で大丈夫なのかなぁ。それとも、本気で原発=荒ぶる神って言ってるのかなぁ。なんか、変なの。
横浜に居ても、原発によって「世のすべてのものから見放された」と絶望と怒りを感じる。それが正直なところだ。そのことに対して、キリストが十字架の道をたどったとき、「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになるのですか」とつぶやいたゆえに、その苦難を知っている、絶対に見捨てない、顔をそむけないということが希望になる。
今はすこしばかり落ち着いてきたけれど、横浜に居ても強烈に感じた、あの逃げ場がない、誰ともつながってない、見捨てられたという混乱と不安の週、神さまが居るから大丈夫というのは、この苦境から助けだしてくれるというよりも、「ああ、この不安を、キリストは十字架の道で感じられたのか。すべての人がこの苦難から顔をそむけ、見ないことにして、無かったことにしたとしても、キリストだけは、絶対に顔をそむけない、共に居てくださる」という信仰しかなかったな。