2010年09月13日(Mon) ad
■ イザヤ6:5-7
イザヤ書6章5-7節
その時わたしは言った。
「わざわいなるかな。わたしは滅びるばかりだ。
わたしは汚れたくちびるの者で、
汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、
わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
この時セラピムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、
わたしの口に触れて言った、
「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、
あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」
神を見てしまうと、死んでしまうという法則があるのだけれど、 聖書の中では、単純に「神を見たら死ぬ」ではなくて、 神と自分の間に義が成立していないと、死んでしまうというルールがある。
セラピムは、6つの翼を持ち、2つで顔を覆い、2つで足を覆い、残りの2つで飛びまわる、天の生き物らしい。 これが何だかよくはわからないし、非常に幻視的なものなので、その正体については探求しない。 ここでは単純に、天の聖なる生き物(≒天使)と受け止めておく。
ここで「わたし」は「汚れたくちびる」ゆえに、滅ぼされることを恐れる。 口ではなく、くちびるという言い方に注意。 口は飲食をする器官だが、くちびるは言葉を発する器官だから、 「汚れたくちびる」とは人の口から出てくる言葉。 具体的には悪口や裏切り、不平、へつらいなどか。 言葉によって、不義を働くということもまた、聖書に繰り返しでてくる。
けれど、天の使いは、燃えている炭(つまり火)をもって、その汚れを浄化する。
これが旧約聖書的な救い。 燃える炭、火によって浄化するというのは、 旧約聖書的な特徴。