2010年03月30日(Tue)
■ 第八回Wikiばなの感想。
前回の日記は、運営サイドのふり返り的なものだったので、内容について、今回は少し書いてみます。
今回、やって良かったなぁ、と、思ったのは、発表時はあまり強調されてなかったように思うけれど、[塚本さんの発表でスライド41枚目にある「Wikiリテラシー」の「所有意識から所属意識へ」のところ。これを塚本さんが自分で感じて、発見して、気づいたってのが、2004年からWikiばなを始めて仲間として紆余曲折してきた、わたしとしてはすごく嬉しかったです。
わたしは今でこそ、Wikiばなを「イベントでしょ」と言われても、「ま、イベントですね」と流せるに至ったけれど、数年前は、「違う!Wikiばなは単なるイベントじゃない。『場』なんだ!明確な範囲や規定はないけれど、コミュニティなんだ!」と塚本さんと激論して激昂してた記憶がある。
塚本さんの考え方は、当時、「場所押さえて、テーマ決めて、発表者を依頼して、あとは告知すれば、興味ある人が適当に集まるよね」という感じだった。それに対して、わたしは、「そんな外枠を埋めることなんて誰だってやろうと思えばできる。そうじゃなくて、そこにどういう人たちが集ってくるのかが重要なんだよ。そこはコミュニティなんだよ。『場』なんだよ」と一生懸命、伝えようとしてたんだけれど、うまくできなかった。今でも冷静には、あまりうまく説明できない。
そんな塚本さんが「shinoさんが昔、Wikiにはコミュニティが重要だって言ってたのが、あの時は全然わからなかったけれど、ようやくわかってきた」と打ち合わせのときに言っていたのが、感無量です。もうね、わたしとしては、それだけで今回のWikiばなは開催した価値があります。
Wikiは、表面的なページに掲載された情報じゃなくて、その背後で働く、こびとさんを知ってこそ、おもしろみがあるのですよ。Wikiの向こうには人がいるのですよ。それが大切だからこそ、リアルで顔をあわせる場を作ろうなんてことを、わたしはやっているのです(とか、声高に言っちゃうと、こびとさんはナイーブで、姿を隠しちゃうから、この話はそんなにはしません)。
(……しかし、まだ若干、塚本さんに理解されてない気がするんだけれど、Wikiばなは、『場』としての効果を最大限に発揮するためなら形式は問わないですよ。ここ何回かは、発表形式取り入れてますけれど、前みたいな「ばな」形式や、ほかにも適した形式があれば、随時それを取り入れたいと思っています)。
それから、塚本さんの発表時には言葉も省かれてたのだけれど、「所有意識から所属意識へ」について、元のスライド34枚目では次のように説明されている。
あなたの作成したコンテンツを誰かが書き換え始める。
-コラボレーションのはじまる瞬間
-コンテンツの「所有意識」が失われる瞬間
この痛みを歓迎できることがWikiリテラシー
[群衆の知恵・集団的知性とWikiコラボレーションより引用]
書き換えられるということは、痛みがあるのです。しかし、痛みを乗り越えて、広がる世界(Wiki)が、おもしろいですよね。この痛みを無視したり無いことにするんじゃなくて、「痛みを歓迎できることがWikiリテラシー」と言うのが、すばらしいです。(そして、ここはもっと深堀できる可能性のあるところだと思います)。