2010年03月15日(Mon)
■ 3月は疾風疾風。
土曜日、こどもの卒業式がありました。幼稚園を卒業し、4月からは小学校一年生になります。
幼稚園にしろ、保育園にしろ、未就学児の育児は、さまざまなバリエーションがあります。働いている母、専業主婦の母によっても、考え方も、やり方も、いろいろ違うと思います。そんな中で、この三年間、考えて動いてきたことを、わたしなりに書いてみます。ちなみにわたしは専業主婦です。
まず、幼稚園を考える最初の判断として、三年保育か二年保育かということろで、当初は迷いました。なぜなら、わたし自身は二年保育(カソリック系の幼稚園)出身だったので、今、ほとんどデフォルトで三年保育という現状にびっくりしました。
また、幼稚園に入るにも、プレ保育といって、横浜市の私立の幼稚園はほとんどが未就園児向けの体験コースを用意しています。これに参加してないと、入園する願書すらもらえない、というところもあるようです。(そうでない場合は、願書受付に徹夜して並ぶというタイプ)。
わたしは一年目、いわゆる地域の人がふつうに通う幼稚園にこどもを入れました。幼稚園に入れる前の年に、一年間のプレ保育に通い、8月ごろ願書をもらう前に作文を提出。それから願書をもらい、10月に提出。無事、受理されました。
そこは制服やこどもの通園バックなど、全部指定のもので、一部、手提げ鞄やお弁当包みなどを母が自作または市販品を購入して用意するという、親のスキルはあまり問われない楽なところでした。近所の人も多くて、集団登下校という体制で、通園もある意味楽でした。
ただ、あまりにも親の関わりが薄くて、楽なのは良いのですが、これでいいのかと一年間、ひとりで悩みました。そこで、気づいたのが、わたしはもっと、母親業を修行したい!ということだったのですね。
それから、自宅からはバスなどを使わないと行けない場所なのですが、生活即教育、家庭との密度のある連携での保育をモットーとした無認可の園を見つけました。
思い切って、上の子が年少から年中に上がるときに転園しました。
そこは、今までとはまったく異なる生活でした。基本の通園日は週一回。5歳6歳になると、別の曜日にピアノがあったり、小さな動物のお世話をしに行きます。
こどもたちの教室での指導は先生方がしてくれるのですが、こどもの給食を作ったり、こどもに必要なグッズ(通園用のかばん、エプロンや風呂敷、帽子、体操会のパンツ、また、制服はないのですが、母親の手作りの洋服が推奨されています、などなど)を母達が作る。
このため、こどもを送り出したら、その場でさよならで、お迎えまで時間があるということはなく、母親は小グループ編成になり、給食当番、給食当番の人の弟妹の託児、給食の準備(献立作成や食材の手配)という3つの役割をグループごとに交代して進めていきます。
この幼稚園の説明会で、ある父親が「こどもはどんな幼稚園や保育園をでても、そんなに変わりはないと思います。ただ、ここは、母が母親として鍛えられる場です」と言っていましたが、まさに、その通り。
わたしはもともと集団が苦手なタイプだったのですが、ここに集う女性は、本当に互いに配慮しあい、助け合い、教えあい、「共同体というものはこういうものなのか」というのを実感できました。
今年度は、4歳と6歳の子をふたり、その園に通わせていたので、ひとりひとり、登園日のシフトが異なるため、ほぼ毎日通い、また、4歳と6歳の異なる母の共同体に身を置いていました。
これは本当に大変だったし、何度も「もうダメだ。わたしにはついていけない」と泣きましたが、たくさんの母仲間に励まされ、サポートをうけ、なんとか、上の子の卒業式までたどり着きました。
土曜日に、卒業式があったのですが、まだ、続いているような気がします。ここで出会って、わたしは途中からの入園だったので二年間でしたが、おつきあいした学年のみんなはもはや同志という感じで、きっとこれからも何かあれば、互いに話ができる良い仲間だと思います。
わたしは、最後まで、製作といって、こどもの使うグッズのさまざまなものが作れませんでしたが、最後にようやくこどもの卒業式に着るブラウスを作ることができました。それも、母仲間のひとりが、その人自身、とてもたくさんのタスクを抱えて大変だったのに、「大丈夫、できるから」と励ましてくれたおかげです。
この二年間、わたしは自分の弱さを臆面もなく露呈しつつ、しかし、励まされ、サポートを受け、まだまだ至らないけれど、少し、「母親」になることに近づけた気がします。
そして思ったのは、やはり、育児をするのは、一人ではできない、ということですね。実際に、人と交わりつつ、もちろんいろんな人がいますけれど、それをその人その人の個性として楽しみ、仲間として、互いに励まし合って、進んでいく……。そんな人たちに出会えたことが本当に良かったです。