2009年08月10日(Mon)
■ 「老子」からWikiWayへ
第七回Wikiばな ~Wikiの起源へ~の発表資料スライドを初めて、slideshareにあげてみました。 「老子」からWikiWayへ
で、さっき、ばずったーの #wikibana で、ようやっと自分のセッション反応を把握した次第です。
説明がうまくなかったですね。ごめんなさい。 このセッションの趣旨は、2,13-15ページ目です。
WikiWayの「Way」の意味が、長いこと、腑に落ちなかった。「道路」とか「方法」とか、また「剣道、柔道」などの「道(Dou)」とも何か違うような意味合いがあるような気がした。もちろん、それらの意味も含まれているけれど、さらに何か、べつの意味もあるような感じがしていた。(そしてそれはWikiの性質にもつながる成文なような気がした)。
残された「Way」の成分、それが何だか、長いこと謎だったけれど、今回、『パターン、Wiki、XP』で「老子」の「道(タオ)」の概念を知って、「ああ、そういう意味(創造のはじまり、万物生成の力という意味)も含まれてたんだ」と思うところがあった。(WikiWayのWay=TAOじゃないですよ!WikiWayのWayのなかに、「道路」、「方法」の意味があると思うけれど、それ以外に「創造のはじまり」とか「生成力」みたいな成分もあるってことです)。
そして、「老子」って知ってるようで知らない。中国での諸説、ましてや西洋での受容の推移や、寺田寅彦や加島祥造のように、西洋経由で「老子」を受容した日本人がいたなんて。ってお話でした。
「老子」そのものの受け止め方は人それぞれで良いと思ったので(解釈をめぐると宗教戦争がおこりそうですし、そこまではわたしの浅学では踏み込めません)、今回は様々な立場の書籍をご紹介しました。以上です。
「老子」からWikiWayへ
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